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「人生というマラソンも完走する」 自閉症のランナーと母の二人三脚

 3日午前11時、京畿(キョンギ)道・河南(ハナム)市・草二(チョイ)洞の楽器部品工場。パク・ミギョン(46)さんが息子のペ・ヒョンジン(22)君が勤務する作業場に面会に来た。突然やってきた母を見て、息子は手を振りながら飛び出てきた。ヒョンジンさんは相好を崩し、母の問いに歌うように答えた。

 「ヒョンジンはうちの?」(母)「福~の~神」(息子)

 「ヒョンジンの足は?」(母)「百~万~ドル」(息子)

 「スタイルは?」(母)「ば~つぐん」(息子)

 1998年、春川(チュンチョン)マラソン10キロコース完走、1999年ハーフマラソン完走、2001年10月、フルマラソン完走、2002年トライアスロン完走…。

 知能指数は45、状況判断力は5歳水準、「自閉症兼精神遅滞障害者(2級)」のヒョンジン君。そんなヒョンジン君が「鉄人(ironman)」という称号を得るまでの「母と共にした20年間の努力」を映画化した『マラソン』が熱い感動を呼んでいる。

 しかしこの映画の中では“青い作業服”を着たヒョンジン君の奮闘記は登場しない。走るマラソンよりも辛く大切な人生のマラソン。ヒョンジン君は1年3か月前から、生きるための42.195キロを再び走り始めている。

 職業専門学校の教育を終えたヒョンジン君が、ソウル・文井(ムンジョン)洞の自宅から20分離れた場所にある楽器部品工場に初めて出勤したのは2003年11月。午前9時から午後6時まで部品を組み立てるという単純労働だ。

 ミギョンさんは息子を高校卒業と同時に就職させた。意思の疎通ができない息子を大学に行かせるのはしょせん無理なことだからだ。

 「ヒョンジンも生きていくためには“生活”をしなければなりませんでした。でも、これまで外で飛び回ってばかりいた子が1日中机の前に座っているのですから、かなりストレスを感じたようです。最初の1か月は何度も引きつけを起こして病院に運ばれたこともありました」

 就職当初はヒョンジン君にとっても母にとっても大きな試練だった。自分の世界にひたり、突然走り出し、奇声をあげ、ひっきりなしに指を動かしながら知っている道にだけ進もうとするヒョンジン君。

 母は「家にいてもヒョンジンが叫んでいる幻聴が聞こえ、手足が震えた」とし、「ヒョンジンが病院の救急室に運ばれたという電話がかかってきた時は卒倒しそうになった」と話す。パクさんは精神科の治療まで受けたという。

 しかし母と息子は諦めなかった。そして、まるでマラソンのように、レース序盤にぶつかる苦しい峠を耐え抜くと、急に足取りが軽くなってきたのだった。ただの1度も欠勤せず、ヒョンジン君は自分に与えられた仕事を毎日完璧に終えた。

 そうして1か月後、月給をもらった。少ないが大きな70万ウォンが口座に振り込まれてきた。母はお金を引き出しヒョンジン君に見せてあげた。「僕が稼いできたお金だよ。このお金でお母さん、映画も見せてあげるし、美味しいものも食べに行こう。本当にありがとう」と言った。

 翌年の旧正月、会社でボーナス5万ウォンが出た時は非障害者の弟スロン(20)君に「勉・強・頑張って。お小遣いだよ」と全額あげた。母親から指示された行動だったが、ヒョンジン君もこの日だけは気分が最高だったという。初めて兄らしい振る舞いができたからである。

 「まだ完全に適応できていないけれど、今はワゴン車に乗って一人で出勤できる程度に良くなりました。私の役割は限界があります。ヒョンジンがマラソンをする時、コーチ役をしてあげるけれど、代わりに走ってあげることはできないですから。あの子が一人で42.195キロを完走できるよう側で自転車に乗り歩調を会わせて走るだけです」

 ミギョンさんは欲を捨てたという。ヒョンジン君が結婚し、家庭を持つことが不可能に近いということを認め、マラソンでも記録を打ち立てて欲しいという気持ちも捨てた。ただ人々のすき間で一人の人間として生きていけることを毎日祈るだけだ。最近、ヒョンジン君は退勤し帰宅する8時以降、ミギョンさんと毎日縄跳び3000回を繰り返し練習している。来月8日にあるソウルマラソンのためだ。

 ミギョンさんは、「今も私の願いは変わらずヒョンジンが私より一日早く死ぬこと」とし、「これからどれだけ生きれるか分からないけれど、人生というマラソンを完走するため、ベスト尽くし一緒に走りたい」としている。

申知恩(シン・ジウン)記者 ifyouare@chosun.com

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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