「統一新羅」は日本人による創作物?
最近、歴史学者と政治学者が「統一新羅」と「朝鮮王朝」について新たに打ち出した解釈は、互いに異なるアプローチ手法を取っているにもかかわらず、従来の通念を打ち破る挑発的な主張として議論を呼ぶことが予想されている。もちろんこれらの主張は、「定説」として認められたわけではない。
676年に唐の軍隊を追い払い、初の「民族統一」を成し遂げた「統一新羅」が成立したという見方は、韓国人にとってもはや常識になっている。しかし、「統一新羅」という概念自体が19世紀末に初めて生じた「発明品」だとすればどうなるだろうか。東国大歴史教育科の尹善泰(ユン・ソンテ)教授は、最近学術誌『新羅文化』第29集に寄稿した論文「統一新羅の発明と近代歴史学の成立」を通じ、この問題を提起した。
尹善泰教授は「当時の新羅人らは “三韓を統一した”という意識を持っていたが、これは高句麗と百済を征服したということを意味するにすぎない」と指摘した。尹善泰教授によれば、676年の「統一」により、中国を他者として区別する韓半島(朝鮮半島)の民族体が成立したという見方は、1892年に日本人学者林泰輔が執筆した『朝鮮史』に初めて登場したという。日本人からこうした見方が提起された背景には、日清戦争直前に朝鮮を清から引き離そうとした日本の「アジア連帯主義」が関係していると尹善泰教授は分析した。
林の解釈は、朝鮮末期に国史教科書を編さんした金沢栄(キム・テクヨン)・玄采(ヒョン・チェ)などにより韓国に受け入れられた。以後、石窟庵(せっくつあん)・金冠塚などが脚光を浴びる中、韓国の知識人らに「統一新羅」は朝鮮文化の根源であり、民族の自負心として意識されるようになった。その背後には、関野貞以来「統一新羅」の文化を激賞する日本人らがいた。この雰囲気の中で、新羅と渤海が両立していたと見る申采浩(シン・チェホ)などの「南北国時代論」は主流になることができなかった。すなわち、「統一新羅論」の発明と確立は、民族という歴史単位とその発展をキーワードとする韓国近代歴史学の成立過程そのものだったというわけだ。
また尹善泰教授は、統一新羅の全盛期として知られる中代(7‐8世紀)が、実際は繁栄を極めた太平の時代ではなく、自然災害が激しい大混乱期だったと主張した。そのため、石窟庵や仏国寺の建設も繁栄を象徴するものではなく、実際は民心をなだめるための宗教的事業だったとしている。つまり、この時期を「繁栄期」と見る解釈も、「統一新羅論」と切り離せない一体の関係にあるという指摘だ。
しかし、学界の大多数の見解は「統一新羅」の概念自体を覆すことはできないとしている。韓国学中央研究院の鄭求福(チョン・グボク)教授は「『三国史記』はもちろん、『東国史略』『東史綱目』などの伝統的な史書でも、既に高句麗・百済の滅亡から高麗建国までの期間を統一期と見なしている」と反論した。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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