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朝鮮総督府資料で正す「でたらめな地名」の数々

 発旺山、ソナギジェ、国士峰、大夜味…。 こうした地名はどのようにして生まれたのだろうか。

 日帝時代、固有語の地名を漢字表記する過程で、もともとの意味とかけ離れた名前になってしまった全国各地の地名について、このほど「本来の名称」を追跡した資料と研究結果が出された。15日、韓国学中央研究院の辛鍾遠(シン・ジョンウォン)教授は、20世紀初めの資料を分析した内容と研究成果などをまとめた『江原道地名の真の姿』(景仁文化社)を出版した。『朝鮮地誌資料』の江原道関連部分をすべて整理・編集し、解題をつけた本だ。

 辛鍾遠教授が分析した『朝鮮地誌資料』は、国立中央図書館の図書番号「古2703」に分類されている貴重書物で、分量が54冊にもなる膨大な資料だ。これまでごく少数の研究者以外には、その存在すら知られていなかった。辛鍾遠教授は「この資料を見た瞬間、われ知らず興奮するのを抑えられなかった。なぜならば、漢字で書かれた地名の下に、もともとの名称をハングルでそのまま記されてあったからだ」と語った。

 この資料は、1911年に朝鮮総督府が全国の地名を調査し、作成した草稿で、全国の集落の名称はもちろん、潅漑(かんがい)用の堰(せき)や旅籠(はたご)屋、金石文、城郭、幢竿支柱(韓国の寺の入口に設けられた旗を立てるための支柱)、黄腸木(王の冠を作るのに使われた質の良い松)、古墳、支石墓、ソッテ(村の守護神および境界の象徴として立てられた長い竿)、国師堂(民俗信仰により建てられた祠〈ほこら〉)などの名称と情報を詳細に記録している。しかし、原文には間違いや誤記、日本式略字や俗字、くずし字で書かれた字が非常に多かったため、最初から新たに整理しなければならなかった。だが自治体や学界が特別な関心を示さなかったため、江原大歴史教育科の弟子たちがボランティアとして参加し、4年がかりで作業を終えた。

 その結果、江原道だけを見ても、あきれるほど歪曲(わいきょく)された地名が多いことが分かった。平昌の発旺山は、一部では日帝が「王」を「旺」に変えたのではないかと主張する声も上がっているが、『朝鮮地誌資料』に記されたハングル名称は「パラン山」だった。「風(パラム)」が「パラン」に変化した名称と考えられるが、「王」とは何の関係もなかったのだ。

 また寧越の「ソナギジェ」は、この資料では昔のつづりで「ソナギジェ」と記され、これを漢字で「金出峙」と訳されていた。つまりハングルの「ソナギジェ」は、鉄を産出する峠という意味を持つ地名だったのだ。ところが歳月が流れ、全く別の新たな地名解釈が作られていた。例えば、「青い松が多く茂る峠という意味でソルアンイジェと名付けられ、後にソナギジェになった」「端宗(朝鮮時代の王、在位1441‐57)が王位を追われ、江原道寧越に流されてこの峠を通った際、天もこれを悲しみ、激しいにわか雨(ソナギ)を降らせた」といった具合だ。

 さらに江原道はもちろん、全国に無数にある「国士峰」や「国思峰」という地名は、民俗信仰の国師堂信仰に由来するものであることが分かっているが、「国士」「国思」と表記されたため、「儒者らが亡国の憂情を嘆いたところ」などというとんでもない解釈が生じやすい。

 一方、旌善の「ペミ(昔のつづりで記載)」は、当て字のためもともとの意味が分からなくなったケースだ。「ペミ」はノンベミ(あぜ道に囲まれた田んぼの区域)がある場所という意味だが、これを漢字に置き換える際に「ペミ」の「ペム」を「夜(パム)」、「ミ」を「味」に置き換え、「夜味」とした。これは、もともと「クンベミ(大きなノンベミ)」だった京畿道軍浦の地名が「大夜味」に変わったのと同様の原理だ。

 辛鍾遠教授は「江原道編をやっと出すことができた。これからほかの地域についても早急に整理しなければならない」と語った。今後、資料の価値を調査した数人の学者らが京畿・忠清北道編の整理に取りかかる予定だ。なお、光復(日本支配からの解放)後の地名を正す運動の代表的な事例として、ハングル学会の『韓国地名総覧』(1964‐86)の出版を挙げることができるが、この総覧では『朝鮮地誌資料』を活用していない。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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