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壬辰倭乱「東莱城戦闘」の遺物を発掘 /釜山

 主人を失ったよろいに400年余り過ぎても刀傷が鮮明に残る頭蓋(ずがい)骨、そしてあちこちに散らばった矢じりや刀の数々…。壬辰倭乱(じんしんわらん=文禄・慶長の役)当時、東莱城で繰り広げられた朝鮮軍と倭軍の激烈な戦闘を生々しく物語る遺物が発掘された。

 慶尚南道文化財研究院(朴東百〈パク・ドンベク〉院長)は5日、「釜山市東莱区寿安洞204番地の2に位置する東莱城の堀から朝鮮時代の鉄製札甲(うろこ状のよろい)や刀3点、やじり20点余り、人骨5体を発掘した」と発表した。研究院は、一緒に出土した磁器の破片が16世紀後半のものであることから、発掘された遺物も壬辰倭乱当時のものと推定している。

 この堀は、壬辰倭乱開戦直後に東莱府使・宋象賢(ソン・サンヒョン)が倭軍の先鋒(せんぽう)・小西行長を迎え撃ち、指揮所を設置した南門から50メートル程度離れた場所に位置している。また、5体の人骨の中には3カ所に刀傷を受けて砕け、深い傷あとが鮮明に残る頭蓋骨もあった。しかし、発掘された鉄製札甲から人骨は確認されなかった。

 なお、東莱城は壬辰倭乱開戦直後の1592年4月、鄭撥(チョン・バル)が指揮していた釜山鎮城に続いて陥落した。宋象賢は倭軍に包囲された後、逃亡を勧める部下らに、「今、城外に出るといってもどこに行くというのか」と逃亡を拒否、南門で腕組みをして座り、決然として死を迎えた。このため敵将さえも宋象賢を高く評価し、朝鮮王朝実録も宣祖(ソンジョ)25年(1592年)11月25日条などで何度も宋象賢をたたえている。

慎亨浚(シン・ヒョンジュン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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