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「倭寇は日本版アルカーイダ」(下)

【新刊】李領著『忘れられた戦争・倭寇』(エピステメ)

 李領教授は、倭寇を(1)1223年から1265年の「13世紀倭寇」、(2)1350年から1391年の「庚寅年以降の倭寇」、(3)1392年から1555年の「朝鮮時代倭寇」の3つの時期に分類した。このうち、(1)と(3)の時期は襲来の頻度が低いが、(2)の時期には40年間に何と591回もの侵略記録が残されている。なぜ、この時期にこれほど倭寇の襲来が多かったのだろうか。

 それは同時期の日本が南北朝時代の戦乱期にあったためだ。特に九州地方は、土豪勢力の少弐頼尚と移住してきた武士勢力との間に軍事的対立が発生し、少弐配下の軍兵が軍糧米や物資を得るため高麗に侵攻した。この「熟練武士集団」がまさに倭寇の実態だったというわけだ。

 当時倭寇は、およそ数十人から数百人で構成された複数の集団が地方に上陸した後、内陸に迅速に移動し、略奪を終えると討伐隊が到着する前に撤収したとされている。倭寇が「三面を絶壁に囲まれた場所で、刀や長槍をハリネズミの毛のように立てて抵抗した」という記録があるが、これは南北朝時代の侍たちの戦術と同様のものだ。そのため、「高麗朝廷が漁民や商人で構成された海賊集団すら防ぐことができないほど無能だった」という見方は間違ったものだと李領教授は主張している。

 また、李領教授は「1380年の李成桂(イ・ソンゲ)の荒山大捷は、重装甲騎兵らで構成された倭寇を相手に決定的打撃を与えた非常に重要な戦闘だった。記録や現場を綿密に分析した結果、“孫子の兵法”の内容がそのまま応用された卓越した戦闘だったことを確認した」と説明した。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

写真=キム・ボベ客員記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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