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「討論」を通して見た韓国独立の夢と挫折

【新刊】イ・ファンジク著『独立協会、討論共和国を夢見る』(プロネシス)

 1898年4月3日、間もなく独立協会の討論会が開かれる予定のソウル・独立館には、数百人の聴衆が集まっていた。ソンビの1人がしきりに首をかしげていた。「ソンビたちの集まり〈経学を討論する〉という言葉は聞いたことがあるが、可否に分かれて互いに論争を繰り広げる意味での〈討論〉という言葉は、聞いたことがない」。またあるソンビが語った。「しかるに物事の意味を明らかにするなら、故事典籍の正誤を見極め、書冊の真偽如何を検討し把握しなければならないのではありませんか?」

 午後1時過ぎ、独立協会の会長・尹致昊(ユン・チホ)が壇上に現れた。「今日の討論会の主題は〈議会院設立が政治上最も緊要だ〉でございます」。賛成側弁士のリュ・ヨンソクは「議会が設立されれば、民衆の意思を政治に反映する路が開かれるようになり、これにより、彼ら民衆の不満が解消されることはもちろん、貪官汚吏がびくびく震えるようになり不正腐敗が消えるだろう」と語った。反対側も負けてはいなかった。弁士として出て来たチョン・ハンモは「今、議会設立を論ずるほどに政府と民心の乖離が深刻なのか」と反問した後、こう語った。「むしろ、3年前の乙未事変(1895年10月8日の閔妃殺害事件)以後、民心は皇帝陛下を中心に一丸となっている」。討論会に疑いを抱いていた、「討論」という言葉を耳にしたことがないソンビさえ、いつの間にか拍手を送り、討論会にすっかり熱中していた。

 「知識展覧会」シリーズの1冊として出版されたこの本は、19世紀末の徐載弼(ソ・ジェピル)と独立協会の活動を、「討論」というコードを中心に据え改めて追跡した。われわれの過去の歴史の中には、明白できちんと整った討論の存在を見つけづらいが、それでも過去を探って見れば自然発生的な討論文化の芽が存在した時期があったのだ。これは、近代化と民主主義を夢見ながら挫折した歴史の記録だともいえる。著者は淑明女子大意思疎通センターの教授だ。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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