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【コラム】「携帯電話爆発死事件」に見る誤報の恐ろしさ(下)

 またこうした事件が起きた時の報道に欠かせないのが専門家の見解だが、それすら何事にも熱くなりやすい国民性に拍車をかける結果をもたらすことが少なくない。専門家の立場からしてみれば、「現実的にどれほど可能性があるか」よりも「理論上あり得るか」という基準で発言せざるを得ないからだ。ある政府機関の研究員も「10億分の1の確率であっても、爆発する可能性があれば、爆発することもあり得ると言うしかない」と語る。

 もう一つの問題は、こうした事件が起きたときに、疑惑の渦中にある製品を生産しているメーカーの談話を責任逃れのための弁明といった形に決めつけてしまうことだ。リチウム電池を製造したメーカーのある関係者は「会社が製造するバッテリーの台数は年間約4億個だが、そのうち一つでも爆発するようなことがあれば、少なくともその年の事業は諦めなければならない。だからこそわざわざ電池をキリで突いてみたり、熱してみたりして爆発実験を行っている。しかしいざ事故が起きれば、誰もそんな話を信じてはくれなくなる。揚げ句の果てには、会社の上層部まで疑いの目で見てくる」と語った。

 事件が起きた先月28日は、当初製品の欠陥を疑われたLG電子にとって地獄のような1日だったことだろう。しかもLG電子には、2004年に起きた炊飯器の爆発事件によって、同事業からの撤退を余儀なくされたつらい過去もある。ある役員は「最初から警察が携帯電話の爆発とせずに、ただ『電話が溶けていた』と表現していれば、企業や消費者にこれほどの衝撃を与えることはなかっただろう」と語った。

趙亨来(チョ・ヒョンレ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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