「仏国寺多宝塔の遺物は日本にある」(中)
二人は1024年と1038年の記録において、塔に対する描写が余りにも異なっているという点についても指摘した。1024年の記録には、仰蓮台(天を仰ぐ蓮の模様の台)、花蕊(花の雄しべと雌しべ)、獅子などの文字が記され、一方1038年の記録には、初層、下層、中層、上層といった文字が見られる。しかし、ほとんど同時期に同じ寺で同一の塔に対し、かくも異なる表現をすることはあり得ないというわけだ。釈迦塔が典型的な新羅の三層塔であるのに対し、多宝塔は何層なのか言い表し難い特殊な形態をしており、獅子と蓮花石を配置しているという点も注目しなければならない。こうした遺物や石塔の外観の比較のみならず、1038年の補修記録に「西石塔」という題が付いていることを見ても、1038年の記録は西側にある釈迦塔の補修記録であり、1024年の記録は東側にある多宝塔の補修記録というわけだ。
◆多宝塔の遺物が東京国立博物に
慶州地域に昔から住む住民たちは、日帝が行った1925年の多宝塔補修は韓国人の接近を禁じた上で極秘裏に進められ、多くの宝物が出てくるや、風呂敷に包んで持ち去ったと証言している。
ハン研究員は、墨書紙片の1024年の記録で言及されている遺物と、日帝強占期に骨董品大手と呼ばれた小倉武之助の所蔵品(現在は東京国立博物館所蔵)のうち、「慶州南山のある塔から出てきたという遺物」の目録が一致したと指摘した。例えば、純金で作られた瓶(金の舎利瓶)、銅で塗金した盒子(金銅円筒型舎利盒)、塗金した函(金銅教函)、銅で作られた容器(青銅盒)などがそれだ。(カッコ内は小倉の目録)
◆無垢浄経は高麗代に納められた
墨書紙片に登場する無垢浄経には、▲巻物1巻と9紙片(1024年の記録)▲巻物1巻(1038年の記録)がある。国立中央博物館は、1024年に記録された無垢浄経は釈迦塔の創建当初に納めたもので、1038年の記録で言及されたものは、当時釈迦塔を補修するのに伴い、新たに納めたものだと解釈した。しかし1966年の釈迦塔補修時、無垢浄経が巻物1巻しか出てきていないのは問題だ。このため中央博物館側は、「1966年に釈迦塔から出土した無垢浄経が、1024年の記録で言及されているものなのか、1038年の記録で言及されているものなのかは分からない。従って、製作時期もまた、統一新羅から高麗までのどの時期だと断定することはできない」と語った。
しかしチェ教授とハン研究員によれば、1024年の記録は多宝塔補修の記録であり、1966年に釈迦塔で発見された「無垢浄経1巻」は当然ながら1038年に納められたものだという。それが実際の発見状態とも合致する。従って、釈迦塔で発見された無垢浄経は1038年に新たに納められたものとなる。ただし二人は、「統一新羅時代のものをよく保管しておいて、1038年に納められたと見ることもできる」と述べた。
慎亨浚(シン・ヒョンジュン)記者
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