【萬物相】西洋人の韓国名
スコフィールド博士は、石虎弼という名前に込められた理念を生涯実践し続けた。三・一独立運動では堤巖里虐殺事件を現場ルポと写真で報じ、独立運動を助けた。1920年にカナダに戻った後も支援を続けた。1958年に韓国政府の招きで訪韓したスコフィールド博士は、ソウル大獣医学部で教鞭を執り、当時京畿中に通っていた鄭雲燦(チョン・ウンチャン)前ソウル大総長ら貧しい学生の学費や生活費を助けた。
サッカー界では、2000年に韓国に帰化したロシア人ゴールキーパーのサリチェフが、申宜孫(シン・ウィソン)という韓国名を名乗っている。1992年に天安一和に入団後は、まさに「神の手」のようにゴールを守り、Kリーグ史上最高のゴールキーパーとして名声を轟かせた。これに触発された他のチームが相次いで外国人ゴールキーパーを起用したため、「外国人ゴールキーパー出場禁止条項」ができるほどだった。
米国のスティーブンズ次期駐韓大使は、75年から77年にかけ、平和奉仕団員として忠清南道の礼山中学校で英語を教えた際、「シム・ウンギョン」という韓国名を使ったという。同僚教師が代理で作成したとみられる人事記録カードには、若いころの写真の横に「姓名シム・ウンギョン、本籍アリゾナ」と記されている。テコンドーを習いたいと体育館に姿を見せたり、週末には韓国を理解するため周辺地域を見て回っていた背の高い西洋人女性教師の姿を教え子は今でも記憶している。
19世紀末から20世紀初めにかけ、西洋人の韓国名には困難に直面する東洋の小国に対する憐憫(れんびん)の情が込められていた。今は外交官、企業人、スポーツ選手らの韓国名は韓国に対する愛情の証しだ。米国の外交・軍関係者のうち、ヒル元駐韓大使は「韓徳(ハン・ドク)」、バーシュボウ駐韓大使夫妻は「朴宝友(パク・ボウ)」「朴信芸(パク・シンイェ)」、駐韓米軍のラフォート司令官は「羅宝泰(ナ・ボテ)」という具合だ。韓国名を使う外国人にはなぜか親しみが湧く。名前が持つ不思議な力を改めて感じた。
李先敏(イ・ソンミン)論説委員
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