Print this Post Article Lists Back

南大門火災:「国宝第1号」崩壊、放火の可能性も(下)

◆消防当局の判断ミス

 消防当局の初期対応が誤りだった、ということが明らかになったのは午後10時40分ごろ。消防隊員らが楼閣2階部分の火種を消していた瞬間、煙だけ出ていた2階の扁額(へんがく)から5メートル中に入った所で直径6メートルの炎が再び上がり始めた。消防隊員は再び放水したが、火の勢いは衰えず、広がり始めた。午後11時ごろ、火は2階の屋根部分全体に広がり始め、午後11時30分ごろには屋根の上まで達し、崇礼門全体が炎に包まれた。

 消防当局はこの時点でも、火の勢いを食い止められない原因を把握できていなかった。現場の消防関係者は「火が出ているのは崇礼門2階の中央部分と推測し、ホースで放水しているが、屋根部分の構造が複雑なため水が届かず、鎮火が遅れているようだ」と述べた。だが、火の広がりが食い止められないのは、崇礼門2階屋根部分や、屋根を支える垂木部分に防水処理が施されていたためだった。上下からいくら放水しても火に届きさえしなかったのだ。午後11時40分ごろ、消防当局は「屋根を取り払い上から放水する」と言ったが、すでに崇礼門の屋根は崩壊直前の状態で、消防隊員が近づくこともできなかった。

 近くで商売をしているカン・ソンエさん(70)は「国宝第1号がこれほど焼け落ちてしまうまで、消防署や文化財庁は一体何をしていたのか。消火を始めてから2時間も過ぎているのに、どうして再び燃え始めたのか分からない」といら立ちを見せた。

◆スプリンクラーもなし

 火災が発生した崇礼門内部には、スプリンクラーなど初期消火装置が全くなかった。文化財庁関係者は「文化財には“内部施設保存のため消防設備を設置しなければならない”という規定がなく、現在関連規定を作成しているところだった」と説明する。

 警察は科学捜査チームなど警察官約50人を現場に派遣、出火原因を調べているが、鎮火作業が終わっておらず、崇礼門に近づくこともできないまま、調査は難航している。

 火災が起きた崇礼門は、ソウルに残る木造建築物のうち最も古いもので、1395年着工、1398年に完成した2階建て構造の楼閣だ。現在残っている建物は1447年に建て直されたもので、1961‐63年に解体修理作業が行われた。

イ・ソクウ記者

ウォン・セイル記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
関連記事 記事リスト

このページのトップに戻る