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南大門火災:なぜ火は消えなかったのか(下)

◆瓦や補土の除去が必要だった

 文化財専門家は、1961-63年に崇礼門の補修工事を行った際に、瓦の下部にある補土に石灰成分を多く混ぜたという。泥に石灰を混ぜたのは、外部からの水や湿気を遮断するのが狙いだった。このため、消防隊員が外部から大量の放水を行っても内部では延焼が続いた。専門家らは、崇礼門の屋根の火災を鎮圧するためには屋根上部の瓦と補土を取り除いた上で、放水を行わなければならなかったと指摘する。

◆文化財庁と消防の意思疎通に問題

 崇礼門が廃虚と化すまでの5時間17分、文化財の保存に責任を持つ文化財庁と消火任務を担う消防当局の意思疎通がうまくいかなかった。誰が誰に連絡すべきか、責任者がいつ現場に到着するのかなどに関し、双方の足並みは乱れた。

 本紙が入手した消防当局の日誌によると、文化財庁(大田広域市)に崇礼門で火災が起きたと緊急連絡したのが10日午後8時56分。文化財庁の担当者が火災現場に到着したのは午後10時4分だった。火災現場で消防当局と文化財庁の連携が機能するまでに1時間以上かかった計算だ。現場の消防隊員は、「崇礼門は文化財だったため、勝手な判断で消火作業を行うことができなかった」と話した。

 文化財庁は出火の初期段階で消防当局に「国宝第1号なので慎重に消火を進めてほしい」と要請した。その後、火の勢いが強まっているとの報告を受け、文化財庁は出火後47分が経過した午後9時35分に「破損しても構わないので、積極的な消火を行ってほしい」と消防当局に伝えた。しかし、消防当局が屋根の一部を取り除く作業を始めたのは、それから2時間余りが経過した午後11時40分のことだった。

 韓国火災消防学会の孫鳳世(ソン・ボンセ)学会長(キョンウォン大消防防災学科教授)は、「火災初期に文化財庁と消防が現場で図面や進入方式について直ちに情報交換と意思疎通を行っていたならば、文化財を全焼させるまでの事態にはならなかったはずだ」と悔やんだ。

イ・ジェジュン記者

【ニュース特集】ソウルのシンボル・南大門焼失

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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