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秋山成勲「ただ穏やかに暮らしたい」(中)

 大学を卒業した彼に、日本の実業団チームから高額を提示してのスカウトの申し出が相次いだが、彼は「韓国代表になるため」と釜山市庁柔道チームに入った。「在日韓国人として韓国籍を持っていたため、日本代表選抜戦には出場できませんでした。国の代表となって金メダルを取るため韓国に来たのです」と語る彼の口からは、何度も「愛国」という言葉が出た。

 しかし秋山は2年7カ月後、太極旗を胸につけることを放棄し、2001年に再び日本へ戻った。「在日韓国人への差別」が理由だった。

 「実力ではなく判定で何度も負けました。代表選抜戦でも同じでした。普段、仲間や知り合いは自分によくしてくれましたが、判定は別問題だったのです。01年アジア選手権に国の代表として出場し優勝しましたが、控え選手たちが出場した大会だったため、それほどいい気分ではありませんでした。その後も判定には泣かされました」

 その後しばらく忘れられていた秋山は1年後の02年、釜山アジア大会で韓国代表ではなく日本代表として登場した。柔道人生で国を代表するという夢を実現させるため、日本に帰化したのだ。81キロ級決勝で韓国選手を破って金メダルを獲得したとき、韓国の世論は彼を「秋成勲」ではなく「秋山」とさげすんだ。

 「そのときはつらかったです。そんなつもりではなかったのに。“自分は元々韓国人なので、国籍に関係なく応援してくれてありがとうございます”と言ったのに」

 共にインタビューに応じた母のユ・ウンファさんが代わりに語った。「釜山の人たちは事情をある程度理解してくれていたため、応援してくれる人も結構いました。しかしあるスポーツ新聞で“祖国を投げ飛ばした”と報じられ、とてもつらかったです。成勲は日本国籍を取りはしましたが、韓国人だから応援してくれると思っていたのに、マスコミにあんなふうに報じられるとは」

 秋山は04年のアテネオリンピック選抜戦で脱落した後、総合格闘技に転向した。その理由について、「金のためではない」と前置きし、「指導者としての道もありましたが、好きなことに挑戦したかったんです。もう少し年をとったら選手はできなくなりますから」

チョン・ヒョンソク記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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