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安重根が高く評価される理由とは(下)

 安重根が高く評価される理由は、韓国強制占有の元凶・伊藤博文を狙撃した義士だからではない。彼は、究極の平和主義者だった。1908年に独立軍「大韓義軍」を組織した安重根は、日本軍と戦闘を交え、日本軍の兵士4人を生け捕りにした。安重根は「万国公法に、生け捕った敵兵を殺せと記す法はない」として、兵士たちを釈放した。彼は「弱きを以て強きを破り、善きを以て悪しきを破る」という自らの信念を語った。

 安重根の思想は、旅順の獄中で執筆した二つの著述によく表れている。自叙伝『安応七歴史』と、自らの思想を集約した『東洋平和論』だ。このうち『東洋平和論』は、義挙から5カ月後に慌しく死刑が執行されたことで、未完の著に終わった。安重根は『東洋平和論』で、「日本が東洋の平和を実現し自尊する道は、韓国の国権を返還し、満州と中国に対する野望を捨てることだ」と記した。韓・中・日3国が独立を維持しつつ協力することでのみ東洋の平和が実現する、という彼の思想は、最近活発に議論されている「東アジア共同体論」にも多くの示唆を与える。

 1910年3月26日午前10時、旅順監獄で死刑が執行された。安重根は、刑場に向かう直前、筆を取り「為国献身/軍人本分」(国のため献身することは軍人の本分である)と書いた。「わたしは東洋平和のためにやったのであり、わたしが死んだ後も、韓日両国が東洋平和のため互いに協力してくれることを望む」。わずか31歳という若さでこの世を去った安重根義士の遺言だ。慶熙大の許東賢(ホ・ドンヒョン)教授(韓国近代史)は「彼は民族国家の誕生を夢見た人物であり、その一方で東洋の平和を唱えた脱民族主義の先駆者でもあった」と語った。

李恒洙(イ・ハンス)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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