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【コラム】再び飛翔する「日の丸飛行機」(上)

 靖国神社は軍国主義を象徴する施設として悪名高い。そしてこの評判をさらに落としているのが、同じ敷地内にある「遊就館」という戦争博物館だ。

 遊就館に入ると、赤い日の丸が描かれた深緑色の戦闘機が人々を出迎える。真珠湾攻撃や神風特攻隊の特攻に使われた靖国の象徴「ゼロ戦(零式艦上戦闘機)」だ。さらに奥へ入ると、日の丸や桜の花が描かれた「桜花(ロケット特攻機)」という奇妙な飛行物体がある。人が中に入って操縦し、敵に体当たりするために作られた、世界でも唯一の「空飛ぶ人間爆弾」だ。

 遊就館を訪れる韓国人たちは、こうした兵器を見ると戦争の残酷さを感じるという。だが、「70年前によくこんな飛行機を作ったものだ」と複雑な思いに駆られる人も少なくない。実際、ゼロ戦をはじめ「雷電」「隼(はやぶさ)」といった日本の戦闘機は弱点も多かったが、当時世界最高の機動力を誇る先端戦闘機としてその名を馳せた。

 第2次世界対戦終了直後、米軍が最も警戒した日本の技術は航空分野のそれだった。真珠湾攻撃当時の無残な記憶が反映されている。技術の命脈を断ち切るため、あらゆる日本製戦闘機を破壊、資料を没収し、製造した企業を解散させた。それでも飽きたらず、「航空禁止令」を出し、航空機製造や研究そのものを禁止した。その期間は10年以上にわたる。

 しかし日本は根気強い国だ。技術に関しては特にそうだ。1956年に禁止令が解除されると、日本政府は「5人のサムライ」と呼ばれた技術者を1カ所に集めた。戦前、三菱重工業に所属し「ゼロ戦」を作った堀越二郎は、日本最高の名門・第一高等学校と東京帝国大学工学部をそれぞれ首席で卒業した天才。そして人間爆弾「桜花」を作った木村秀政も、東京帝国大学航空研究所で戦闘機製造に貢献した人物だ。そのほか3人も第2次世界大戦時、戦闘機製造の超エリートだった。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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