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【コラム】再び飛翔する「日の丸飛行機」(下)

 彼らは隠しておいた「ゼロ戦」の図面を取り出した。戦闘機の図面を基に開発を繰り返し、プロペラ旅客機「YS-11」を設計した。戦闘機の技術が旅客機の技術に生まれ変わったのだ。その後、設計を基に航空機製造を主導した人物が三菱出身の東條輝雄(後の三菱自動車会長)だ。A級戦犯として戦後、米軍により死刑となった東條英機元首相の二男。「おまえは技術者として報国せよ」という父の遺志を継いだのだ。

 しかしYS-11の生産は1972年、日本政府の決定により中止された。量産に成功し、182機を生産した直後だった。採算が悪化したというのが表向きの理由だが、航空界の覇権を握った戦勝国の圧力に負けたという説もある。この決定で、日本の航空機生産は再び30年間近い空白期間を迎えることになる。

 20日朝、日本の朝刊を広げると、1面に「日の丸ジェット機、悲願の就航へ」という大きな記事が目に飛び込んできた。日本の航空会社が三菱の開発したジェット旅客機を大量に導入し、路線に投入するという内容だった。日本の航空機史における、3度目の挑戦だ。

 三菱重工業はほかの戦闘機メーカーと同様、戦後は財閥解体の道を歩んだ。だが、東京オリンピックが開かれた64年、跡を継いだグループ企業各社は「三菱」の名の下に再集結した。会社が解散しても消えなかった技術者たちの願いが、企業を復活させたのだ。今、その念願が「日の丸ジェット機」を再び世界の空に飛び立たせようとしている。日本の「技術民族主義」がまたもや飛躍を遂げる瞬間だ。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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