「李舜臣の家は貧しくなかった」
行き過ぎた英雄化で事実を誇張か

- 顕忠祠に所蔵されている李舜臣将軍の肖像。/写真=朝鮮日報DB
李舜臣生誕463周年(4月28日)を迎えるに当たり、韓国人がよく知っている通説を覆す主張が提起された。李舜臣将軍を「難関を乗り越えていった立志伝的人物」と描写する英雄化が行き過ぎ、むしろ事実の誇張を生んでいたのだ。
海軍士官学校の李敏雄(イ・ミンウン)教授は、順天郷大李舜臣研究所(チョン・ビョンウン所長)の主催で開かれた「『忠武公・李舜臣史料集成』出版記念会および第10回学術セミナー」で、「忠武公・李舜臣の出生背景についての歴史的考察」と題する発表を行った。この発表の中で李教授は、「李舜臣将軍はかなり安定した経済的基盤を持った両班(貴族)士大夫一族の出身だった」と主張した。
李舜臣将軍の一族については、これまで「祖父の代から家門の勢いが衰え始め、貧しい家庭で育ち、母親が内職をするほどの状況だった」といわれてきた。テレビドラマでもこのように描写されてきたが、イ教授は「歴史的事実とはかけ離れている」と指摘する。李舜臣将軍の一族は、由緒ある文官の家門だった。李舜臣将軍より5代前(高祖父の父)の李辺(イ・ビョン)は、外交の専門家として世宗代以降50年以上も官職にあり、家を盛り立てた。曽祖父の李拠(イ・ゴ)は燕山君の師であり、20年余りの間官職にあった。
李舜臣将軍の祖父・李百禄(イ・ベンノク)は趙光祖(チョ・グァンジョ)と気脈を通じ、1519年(中宗13年)に己卯士禍(趙光祖一派の粛清事件)が起こると苦難に直面、これで家が傾いたと考えられてきた。だが李百禄は事件から20年以上経った1540年の時点でも生存していたことから、これは事実ではない、と李教授は語る。また李舜臣将軍の父・李貞(イ・ジョン)は官職に就いていなかったが、それが「経済的没落」を意味するものではないと指摘する。
李教授は「最近公開された李舜臣将軍の母ビョン氏の文記(土地や家屋の所有権を証明する文書)には、李舜臣将軍が兄の李堯臣(イ・ヨシン)と共に母親から外居奴婢(私奴婢の一種で、主人とは別居している奴婢)を6‐8人ほど贈与され、忠清南道恩津地方の家屋と土地も受け取っていたことが記録されている」と語った。このように、李舜臣将軍には先代から受け継いだ両班士大夫としての経済的基盤があった、というわけだ。
こうした環境の中で李舜臣将軍は、20歳までは武官ではなく文官を目指して勉強し、その過程で自然と文武両道の素養が身に着いた、というのが李教授の解釈だ。李教授は「李舜臣は土台も何もないところから急に現れ出た人物ではなく、朝鮮前期の時代的な流れの中で誕生し成長してきた人物だった」と語った。これについて青雲大のキム・ギョンス教授は、「先行研究が大ざっぱにしか扱ってこなかった李舜臣将軍の社会的背景の問題を詳しく分析した」と評価した。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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