韓国外交部(省に相当)で先月、奇妙な人事があった。李相徳(イ・サンドク)駐シンガポール大使が突然辞任して帰国したのだ。後任も決まっていない。相手国との関係もあり、大使をこういう形で交代させることはほとんどない。李氏は大使として赴任する前、外交部東北アジア局長を務めた。当時の任務は「慰安婦合意」の実務レベル交渉だった。

 交渉は12回に及んだ。日本からは外務省アジア大洋州局長が出席した。伊原純一氏(現駐ジュネーブ国際機関代表部大使)が9回、後任の石兼公博氏(現駐カナダ大使)が3回だ。井原氏の前任で韓国通として知られる外交官、杉山晋輔外務審議官(現駐米大使)の応援もあった。

 局長級協議のほか、高官級協議も8回行われた。日本は韓国の国家情報院長に相当する谷内正太郎国家安全保障局長が交渉に臨んだ。外務省事務次官を歴任し、安倍晋三首相の最側近として知られる実力者だ。韓国からは元駐日大使のイ・ビョンギ国家情報院長が出席した。谷地局長は現在も要職を務め、日本の安全保障にとって最重要課題である北朝鮮の核・ミサイル問題、韓半島(朝鮮半島)問題を担当している。李院長は国家情報院の特別活動費を大統領に上納したとして刑務所にいる。

 それだけではない。李局長の後任として、慰安婦合意の後続措置を担当した鄭炳元(チョン・ビョンウォン)東北アジア局長は、夕食の席上での女性差別的な発言で辞任した。それほどの問題ではなかったという証言もある。しかし、外交部長官は容赦なく鄭氏をクビにした。現在の外交部における日本専門家の立場を象徴する事件だった。現政権だけの問題ではない。李明博(イ・ミョンバク)政権当時にも韓日軍事情報保護協定の問題で趙世暎(チョ・セヨン)東北アジア局長が責任を取り、外交部を去った。

 こうして比較すれば反論を浴びる。「人事の差こそ、韓国側に損となる合意をした証拠ではないか」というのだ。そうは思わない。たとえ損をしたとしても、経験ある外交官をクビにすれば、国は別の損をする。政権の意向に沿った結果を彼らの責任にするのも不当だ。国家間の交渉とは誰でもできるものではない。韓国の李相徳・鄭炳元両局長とは異なり、日本の杉山・伊原・石兼の歴代局長は北東アジアの安全保障の舞台で蓄積した経験を土台として、韓国に対するはずだ。反論通りに韓国が対日関係でいつも損をしているというならば、そんな違いのせいで常に損をしているのだ。

 我々には歴史上似たような経験がある。忘れているだけだ。19世紀末の朝鮮は青年を「修信使」「紳士遊覧団」などの名で日本に派遣した。「開化派」と呼ばれる勢力が時の舞台に登場するきっかけだった。「親日派」と卑下して呼ぶが、国を売った朝鮮末期の親日派とは質が異なった。しかし、朝鮮は情勢が変わるたびに、彼らを切り捨てた。金弘集(キム・ホンジプ)、洪英植(ホン・ヨンシク)、魚允中(オ・ユンジュン)は悲惨な死を迎え、兪吉濬(ユ・ギルジュン)、徐載弼(ソ・ジェピル)は国を去った。いずれも忠臣たちだった。

 日本も当時全ての局面で成功していたわけではない。壬午軍乱(1882年)、甲申政変(1884年)、俄館播遷(露館播遷、1896-97)は日本にとっても外交上の「災難」だったが、人材を捨てはしなかった。小村寿太郎や原敬のような有能な官僚、井上馨のような有力政治家を駐朝鮮公使(現在の大使)として配置した。後に外相となった小村は当時の経験に基づき、朝鮮併合を主導した。原は首相に出世した。世の中を見る視野の差が人材の差を生み、人の能力差が歴史の差を生んだ。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権の要職には日本専門家がいない。日本の本当の姿を知るのは、新聞記者時代に日本特派員を経験した李洛淵(イ・ナギョン)首相が唯一だとも言われる。外交部のおかしな人事のように、現在いる専門家も追い出してしまう。韓国政府は日本を米中の動き次第の「従属変数」と考えているようだ。中国とロシアさえ相手にしていれば、日本は勝手に動くと考える朝鮮の宮廷の世界観に似ている。その一方で、軍国主義日本が韓国を呑み込むと心配する。極端と極端を行き交い、実力を育てようとしない。

 今の日本に韓国を呑み込む能力はない。しかし、北東アジアの外交の主役として、大国を料理し、韓半島の運命に決定的な役割を与え得る能力を備えている。韓国に有利な形でその能力が発揮されるように日本と付き合わなければならない。日本は韓国に不利となる方向で能力を使おうとしている。このままでは韓国は日本にまたもやられる。今回は知らず知らずのうちにやられかねない。

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