「スピードスケートの女帝」李相花(イ・サンファ、29)は有名なレゴブロック・マニアだ。2013年に女子500メートルの世界記録を立てた時、当時の金載烈(キム・ジェヨル)大韓スケート競技連盟会長が「ごちそうしよう」と言うと「ごちそうよりもレゴを買ってください」と答えたほどだ。李相花は実際に当時一番人気のレゴシリーズをもらった。リンクを疾走するスピードスケートと、じっと1カ所に座って小さな部品を一つ一つ組み立てるレゴは全く関係がないように思える。しかし、李相花は「私がレゴにはまっているのは競技と似ているから」と言った。

 「箱を開けてブロックを広げると、目の前が本当に真っ暗になります。『一体これをどうすればいいの?』という気がするんです。競技もそうです。毎日しなければならない練習量を最初に確認した時は目の前が真っ暗になります。でも、両方とも初めは難しいけれども、実際にやってみるとできるんです。レゴを一つ一つ組み合わせていくことは、試合に出る準備をする過程と似ています。難しいレゴを完成させて飾るときに感じる喜びも、メダルを取った瞬間の喜びと同じくらい強いんです」

 李相花は「小学校の時、スクーターに乗っているピザ配達員のレゴを父から初めてプレゼントされました。小人たちが一つの家で暮らすレゴの世界はとてもかわいく見えました」と語った。スピードスケートの有望選手として注目された中学・高校時代はレゴのことを考えもしなかったが、大学に入ってまたレゴを組み立てて楽しむようになった。

 「私が作ったレゴの作品は、私の部屋だけでなく家のあちこちに飾ってあります。作品を完成させても箱はほとんど捨てないので、家に置いてある大きな箱だけでも多分50箱は軽く上回ると思います。バットマンとシンデレラのセットが一番のお気に入りです。どうしてって? 出来上がったのを見たらすごくかわいかったからです」

 平昌冬季五輪前はしばらく「レゴ休み期」に入った。

 「昨年3月に下肢静脈瘤(りゅう)の手術を受けた時、5箱分ぐらい組み立てたと思います。そして夏が過ぎてからはレゴに全く触りませんでした。私がレゴをするのは、ほかのことを全部忘れようとしているからというのもありますが、五輪が近づくとプレッシャーがあるので、レゴをしていても五輪のことばかり考えるようになります。だからちょっと休みました」

 平昌五輪が終わって3カ月。近況が気になった。李相花は「本当に何の心配もなく、水が流れるように楽な気持ちで暮らしています」と言った。

 今年2月18日のことはまだ記憶に新しい。李相花はその日、スピードスケート女子500メートルで五輪3連覇に挑み、価値ある銀メダルを手にした。

 「息苦しかった試合、観客の声援、金メダルを取った(小平)奈緒に抱かれて泣いた瞬間など、一つ一つ全て頭に浮かんできます。この前、日本でイベントがあって、奈緒に会いました。お互い忙しくて一緒に過ごせる時間がなかったのですが、今度大阪で一緒にユニバーサル・スタジオに行こうと約束しました」

 平昌五輪が終わったらリンクを去るだろうと言っていた李相花だが、銀メダルを手にすると「すぐには引退しない」と語った。それには理由があった。

 「私と(スピードスケート男子選手の)モ・テボム、李承勲(イ・スンフン)が不人気種目だったスピードスケートの地位を高めたと自負しています。でも、私が引退したら、それだけ選手層が薄くなるじゃないですか。また誰にも関心を持たれない種目になってしまうのが嫌だったんです。私のことを見てスケートを始めた後輩たちのためにも、もっと続けたい。まだ次のシーズンのことは考えていませんが、私の力が続く限り、スケートをしているところをお見せできるでしょう」

 李相花に「自身の選手としてのキャリアを500メートルの試合に例えたら、今はどの辺りを滑っていると思うか」と質問した。すると、「最後のコーナーを回ってあと100メートルほど残ったところです。(テーマパーク)ロッテワールドのリンクを滑っていた子どもが思い描いた目標を少しずつかなえて、五輪の歴史に残る選手になったのですから、レース展開としては成功ではないでしょうか」と答えた。

 李相花はインタビュー中、かなりの頻度で顔をしかめた。腫瘍がある左膝が痛むという。来シーズンに備えてリハビリを開始し、しばらく休んでいたレゴの組み立てをまた始めたとのことだ。

 「家にはまだ開けていないレゴが10箱ほどあります。それを見るたびに胸が躍ります。組み立てなければならないレゴが残っていることほど楽しいことはないと思います。以前は私のことを見ると『あ、李相花だ』という反応が多かったのですが、五輪後は皆さん『お疲れさま』『頑張ったね』と声を掛けてくださいます。今は本当に楽な気持ちでスケートができそうです。レゴも思う存分やりながら」

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