政権2年目の入り口に立つ韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権は、類例のないお祝いムードとなっている。「文在寅政権1年、韓国国民に報告致します」というタイトルの評価集によると、何よりも「板門店宣言」以降、韓半島(朝鮮半島)の永久平和が目前に迫った。全ての人が共に豊かに暮らせる時代も、あと少しとなった。「ろうそく民主主義」のおかげで、韓国国民は国の主人の座を完全に取り戻したと思う。わずか1-2年の間に、韓国人は全く異なる世の中で暮らすようになった感じだ。

 そのせいか大統領の支持率は高止まりを続け、6月の統一地方選挙で与党は圧勝を期待している。急激に傾いた運動場の上で、批判勢力は存在感や自信を全て失い、保守・進歩の間にきちんとした「南南対立(韓国国内での対立)」といえるものももはやない。だが現在は、右派の壊滅を残念がるべきときではない。「左派の世」あるいは「進歩派の天下」の中で、韓国そのものが消えつつあるからだ。「もともと生まれるべきでなかった」韓国が、自らをルーツもろとも揺るがしている相手と、今回きちんと顔を合わせることになったのだ。

 現政権は、韓国の建国年をめぐって学界で長年続いてきた論争に、奇襲的に終止符を打った。1919年建国説の政治的判定勝ちにより、1948年の戦後建国プロセスは、その意味が相対的に格下げされる見込みだ。新たに整備された歴史教科書の執筆基準は、韓国が韓半島(朝鮮半島)唯一の合法政府だという事実も否定した。また、韓国の国家理念がもはや「自由民主主義」でなくとも問題ないようにした。そうこうするうちに、これまで私たちが知っていた韓国は殻しか残らなくなりそうだ。

 決まり文句の分断国家、独裁国家、従属国家、暴力国家は、韓国の総体的真実ではない。大なり小なり欠陥はあるにしても、韓国は韓半島の歴史上、最も成功した近代国家だ。韓国は、国を建て、守り、育てるすべを理解していた、国家建設の「方法論」所有者のおかげでここまでやって来た。「方法人」として李承晩(イ・スンマン)元大統領と朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領は、漠然とした理想ではなく具体的な現実を直視し、抽象的な観念ではなく実践的な戦略に通じていた。誰が何と言おうと、単独政府樹立と韓米同盟、経済開発5カ年計画などは韓国の下絵にして土台だ。

 方法論を掲げたリーダーシップは、韓国史においては決して一般的ではなかった。とりわけ朝鮮王朝時代以降、韓国政治のカラーは道徳政治、観念政治、思弁政治の側にずっと近くなった。開国から200年を経て王朝の積弊清算を叫んだ栗谷・李珥(イ・イ)もまた、当為と原則の水準から自由ではいられなかった。壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)による国家存亡の危機を克服したのは、ほぼ全て柳成竜(ユ・ソンリョン)のおかげだったが、国らしい国を作るための方法と実用的政策に精通していたという点で彼は実に例外的な人物だった(宋復〈ソン・ボク〉『柳成竜、国を再び造るときでございます』)。

 だが国難が終わり、朝鮮王朝は「方法論の政治」と再び決別した。柳成竜は「国政専断」「権勢戯弄」「不正腐敗」など、こんにちまで韓国人が慣れ親しんだ罪で罷免された。柳成竜の後、朝鮮王朝は倫理の世界とイデオロギーの政治にUターンし、究極的には亡国の悲劇へと直進した。そして、こうした根本主義の幽霊は、現代韓国政治において依然として生きている。積弊清算は常に準備されていた刃であり、権力の壟断(ろうだん、利益を独占すること)は誰にでも向けられ得る矛先だ。

 特に文在寅政権の1年目において、朝鮮王朝の道徳政治のデジャビュを経験した。閉ざされた世界観に安住したまま、価値と精神世界を重視し弁舌と見せ物に重きを置く「386(1990年代に30代で80年代に大学に通った60年代生まれの世代)コードの政治」は、方法論不在という側面から、現代の朱子学となっている。平和や正義、自主といった希望的楽観と主観的幻想は、当面は政権人気のバブルをつくり出すだろうが、水面下の安全保障不安や崩れゆく経済、そして離れていく民心を最後まで隠すことはできない。

 京都大学の小倉紀蔵教授によれば「韓国社会は、華麗な道徳争奪戦を繰り広げている一つの巨大な劇場」だ。道徳を通して政権を取り、不道徳を理由に全てを失う政治文化、という意味だ。そういえば、昨今の積弊清算運動の渦中で、文在寅政権を狙った道徳政治の逆襲は既に始まっている。「コメント操作」事件がその前兆だ。この政権が、それでも成功するつもりなら、韓国現代史を花開かせた方法論の政治を排斥するのではなく、尊重し継承しなければならない。繰り返される道徳政治の悪循環を清算することが、本物の進歩の意味にして力だ。

全相仁(チョン・サンイン)ソウル大学環境学部教授(社会学)

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