【コラム】韓国の時代劇、歪曲にも程がある

【コラム】韓国の時代劇、歪曲にも程がある

 最近人気を集めているドラマ『根深い木』を数話見てみたが、あきれてしまった。フィクションだということを加味しても、程度というものがある。義父の沈温(シム・オン)が殺されたからといって、父の太宗と正面から対立する場面は、決して世宗のものではなく、想像すらできない。

 今から600年前の1418年(世宗即位年)12月24日まで、時間をさかのぼってみよう。その前日、沈温は上王・太宗の命令により、自ら命を絶った。翌24日、朝鮮王朝実録には世宗が「夢見が悪かった(夢寐未寧)」と記されており、世宗の気分の悪さを間接的に表現している。さらに24日の夕刻、太宗は冷酷にも、大臣たちを呼んで盛大な酒宴を開いた。酒宴には、前日に義父を失ったばかりの世宗も出席した。おそらく太宗は、この事件を通じ、君主のポストとはどういうものかを、世宗に教え諭そうとしたのだろう。

 ドラマでは、世宗が父の剣に護衛の武士の剣で立ち向かおうとしたが、この場面は歴史の中の世宗とは大きく異なる。実際は、太宗が「主上(世宗のこと)が私に対し、心から慰労してくれるのに、私が喜ばないはずがあろうか。ただ、主上の身が平安でないことを憂慮するのみ」と語ると、世宗は「臣がうまく酒を飲めないとしても、身は既に平安です」と答えた。世宗は最後まで、自分の務めから一寸たりとも外れることはなかった。太宗の帝王訓練は、これにとどまらなかった。朝鮮王朝実録には、当時の状況について「上王が立ち上がって舞うと、群臣も舞った」と記録されている。ただし、世宗の反応については、一切言及していない。しかし、世宗がその場で感じたであろう悔しさと惨めさは、容易に推し量ることができる。主観的な判断かもしれないが、ドラマよりも歴史の方が、はるかにドラマチックではないだろうか。「1418年12月24日夕刻の酒宴」をドラマのようにねじ曲げてしまったら、その後の世宗の極めて忍耐強い政治スタイルをきちんと解釈できなくなる。

 また、鄭道伝(チョン・ドジョン)との対立の構図もしっくりこなかった。鄭道伝には息子が4人いた。そのうち3人は「第1次王子の乱」(1398年、李芳遠〈後の太宗〉をはじめとする王子たちが鄭道伝など反対勢力を粛正した事件)の際に父と共に命を落とした。しかし、鄭津(チョン・ジン)=1361-1427=だけは、中央で高い位に就いていたところ、全羅道の水軍に左遷された。後に太宗が即位すると再び呼び戻され、忠清道観察使となり、世宗の代には工曹判書(公共事業を担当する官庁の長官)や刑曹判書(法や刑罰を司る官庁の長官)を務めた。この部分だけを見ても、太宗・世宗と鄭道伝の残存勢力の対立というのは、そもそもあり得ないでたらめな設定だ。

 おそらく、このドラマの中心的テーマとなる訓民正音の制定も、集賢殿(学問研究のための官庁)の学者たちが手掛けたように描かれるはずだ。しかし朝鮮王朝実録によると、集賢殿は『高麗史』を編さんする学術機関にすぎず、訓民正音の制定とは一線を画している。訓民正音は、完全に世宗個人の秘密の作品だ。申叔舟(シン・スクチュ)や成三問(ソン・サムムン)が明の学者らに助言を求めに行ったのは、既に完成した訓民正音が言語として十分に使えるかどうかを点検し、理論的な裏付けを得るためだった。この部分がドラマでどのように描かれるのかも、見守るべき点だ。

 歴史「ドラマ」だからといってむやみに歪曲(わいきょく)し、虚構をでっち上げるのなら、それはもはや「歴史」ドラマとは言えない。時として歴史ドラマは、現代を生きる私たちが歴史を読み込むレベルを示すといえる。そうした面から見てみると、少し前に放送が終了した『姫の男』も「歴史」ドラマのカテゴリーに含めるのは困難で、現在放送されている『根深い木』に至っては、歪曲の程度が甚だしい。いっそのこと、現代社会を背景にした推理ドラマでも放映する方が、はるかに良いのではないか。「歴史」ドラマを制作するのであれば、一定のレベルを守ってほしい。歴史ドラマというのは教育的な役割も無視できない要素があるからだ。

李翰雨(イ・ハンウ)企画取材部長
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