「うま年女は強い」 日本の迷信に振り回される韓国

来年はうま年、懸念される出生率低下

 単なる昔話にすぎなかったお七の話が現実の俗説となったのは、1930年という説もある。当時日本では、恋人に執着し、その男性を殺害したある女性の事件がセンセーションを巻き起こした。その女性こそが1906年の丙午生まれだったのだ。それからというもの、丙午生まれの女性は気性が激しいといった俗説が日本社会に浸透したという。

 米国アーカンソー大学のイ・ジョンミン教授(経済学部)とテキサス大学オースティン校のパク・ミョンホ教授(経済学部)は、『うま年における韓国社会の出生率および性別の関係』と題する論文で「これまでの研究結果を総合すると、日本の丙午の俗説は日本による植民地時代に韓国に伝わった」と分析する。丙午説は、韓国ではうま年、特に庚午(白いうま)に対する呪いとして変化した。その理由は不明だ。ただ、丙午の女性の殺人事件が起こったのがたまたま庚午の年(1930年)だったことで、それが韓国社会で庚午の俗説が生じたきっかけになったのではないかとみられている。

 日本の植民地時代に形を変えて韓国に入ってきたうま年のタブーは、20世紀後半の韓国の人口動向グラフを大きく揺さぶっている。庚午の年だった1990年、韓国では男児の出生率が例年より4.1%も高まった。イ・ジョンミン教授は「これは1万2500人のうま年の女性が消えた結果」と説明する。違法中絶や出生届の先送りなどの非合理的な行為でなければ説明できないというのだ。庚午以外のうま年だった1978年(戊午)には、出生率が例年に比べて14.2%も低下した。2002年にも同じような現象が起こったが、性別によって選別する中絶を全面的に禁止する法律が制定され、こうした傾向が緩和された。韓国と日本ではうま年が避けられているが、中華圏、特に台湾やシンガポールではとら年を避ける傾向があり、しばしば社会問題となっている。

 「えと」にまつわる迷信は、なぜ21世紀になっても存在し続けているのだろうか。これは、迷信が実際に、その人の人生に影響を及ぼしているためだとの見方もある。実際に日本では、1906年生まれの丙午の女性は、得てして貧しい独身が多かったという。丙午というレッテルのせいで結婚できないケースが多かったためだ。結果的に不幸な人生を送った。それが丙午の運勢に対する迷信をさらに強める結果をもたらしたという。

 日本の1906年生まれが迷信によってマイナスの影響を受けたケースならば、北東アジアの「たつ年を好む」傾向は、人生にプラスの影響を及ぼすケースとして分類される。米国ジョージ・メイソン大学の研究チームが米国の移民社会を分析した結果、たつ年生まれの北東アジア系の子どもたちは学業および社会的地位を獲得する水準が高いことが分かった。親の期待が高まって多額の投資をしたことが、たつ年生まれの子どもにプラスの影響を及ぼしたというのが研究陣の結論だ。

李吉星(イ・ギルソン)記者
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