日本の外交政策に見る伊藤博文の影

韓国の外交・内政を少しずつ握っていった伊藤博文、「困難なき併合」狙う
英国のエジプト統治政策も学ぶ

 伊藤博文は義兵を無差別に虐殺するなど、暴力もためらわなかった。伊藤博文は統監になると、明治天皇に軍隊の統帥権を要請し、これを手に入れた。1907年の丁未7条約(第3次日韓協約)から韓国併合までの間に義兵闘争で死亡した韓国人の数は1万7688人に達する。韓教授は「伊藤博文がことあるごとに韓国併呑を否定したのは、韓国人を安心させて国際的関心を回避しようとする政治的修辞だった。伊藤博文は若いころ殺人をためらわなかったように、果断さ・暴力・推進力で韓国の外交権・行政権・警察権・司法権を順に奪い、韓国の軍隊を解散させ、併呑の障害を取り除いた」と語った。

 日本にとっても、韓国を植民地にするのは有史以来初めてのことだった。伊藤博文は韓国併呑のため、英国のエジプト統治政策を徹底的に研究した。韓教授は「既存の研究では大きく注目されなかったが、伊藤博文は、エジプトを統治した英国の政治家クローマーの政略を研究し、援用した」と語った。米国の外交官スティーブンスは、伊藤博文に「クローマーがエジプトの国政を監督した精神や方法を模倣すべき」とアドバイスした。

 伊藤博文が韓国を併呑するため努力した過程を読んでみると、背筋が凍る。かつての侵略を認めるようでいて否定し、日米同盟の強化など対外関係を堅固にしていく現在の日本の姿は、硬軟両面の戦略を適切に駆使した伊藤博文を徹底的に研究したのではないかと思わせる。「韓国では、開化期の権力者だった大院君、金玉均(キム・オクキュン)のような開化勢力、チョン・ボンジュンなどの民衆勢力が膝を突き合わせて将来を論じたことがなかった。これらの勢力を統合するリーダーシップが、韓国には存在しなかった」。現在の韓国は、果たして徹底した事例研究に基づいて適切な外交戦略を展開しているのだろうか。460ページ、3万ウォン(約3320円)。

李漢洙(イ・ハンス)記者
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