「歴史を忘れる日本人と忘れない韓国人、それでも共生を」

韓中日の文明批評書『風水火』を出版した当代最高の数学者、金容雲・漢陽大学名誉教授

-教授は、早稲田大学工学部を出た後、米国に留学して専攻を数学に変えた。いわば、理系続きだが。

 「数学者だったことで、この本を書くことができた。かつてわれわれが習った微積分・方程式のような数学は、『決定論的』数学だった。これは、ソウル駅を出発したら釜山駅には何時に到着する、と答えが出るのと同じ。初期条件が同じなら、答えも同じになる。しかし20年前くらいに『複雑系』の数学が登場した。韓国では私が最初に紹介したものだが、天気予報を思い浮かべてみるといい。天気にはさまざまな要素が介入し、答えがぴたりと出てくるものではない」

-「複雑系」の数学まで出てくるとは、これは手ごわい。

 「『複雑系』の数学には、『フラクタル理論』というものがある」

-部分の構造が全体の構造と全く同じ形で繰り返されるというものを言っているのか。

 「そうだ。ここで私は、歴史の循環に着眼した。大陸勢力と海洋勢力が韓半島で繰り返し騒動を起こす構図と、同じではないか。こんにちの状況は、まさに旧韓末と同じではないか。韓半島の地政学と民族の集団無意識(原形)によって、歴史も循環すると考えるようになった」

-繰り返されるように見えるだけで、事実は全て異なるという反論もある。

 「私は、生きていく中で、体験的にそうした反復性を感じ取った。アーノルド・トインビーも『同時性の歴史』について語っている。アテネとスパルタが競い合ったペロポネソス戦争は、英国とドイツが競い合った第1次世界大戦の様相と全く同じだと語った」

-そうやって比べてみると、同じではないものがある。教授は、韓日対立の起源が、新羅・唐連合軍と百済・倭連合軍が群山沖で激突した663年の『白村江の戦い』にあると書いている。

 「当時、敗北した百済人およそ3万2000人が日本へ移住し、日本の指導層を形成した。この人々の胸に秘められた『新羅のせいで故国に戻れなくなった』という敵対心が、集団無意識の形で現在まで続いている。これに対し新羅は、中国に『事大外交』をすることで進取の精神を失ってしまった。このとき、民族の原形が変わった」

-斬新な着想だが、なるほど。ところで教授は「事大外交」を否定的に見ているのか。

 「もちろん、事大は安全保障政策だが、そのときから尚武の気性が失われ、東方礼儀の国になった」

-今回の本で、中国に対する韓国人の態度がなぜ友好的なのかを分析している。6・25に参戦して統一の機会を失わせた怨讐(おんしゅう)だが、マッカーサー元帥の銅像を壊してしまおうという運動はあっても中国を非難することはなく、これは韓国人の原形に残っている事大主義のせいだと?

 「前に触れた『白村江の戦い』から、全てが始まったと思っている。この事大主義を、これまで意識的に改革・清算したことがなかった」

-当時、事大をしなかったら、中国の隣で韓民族が生き残れただろうか。

 「もし『白村江の戦い』がなく、新羅ではなく高句麗か百済が統一していたら、どうなっていただろうか。韓民族は、より外向的な民族になっただろう」

崔普植(チェ・ボシク)記者
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