■立身出世した李首相
李首相は地方政府の中間幹部の家に生まれた。親の七光りはなかったが、小さいころから「秀才」と言われていた。李首相が大学を受験した1977年は、文化大革命が終わって大学入試が10年ぶりに復活した年だった。全国の受験生670万人のうち27万3000人が大学に入った。李首相はその中でもトップクラスの北京大学法学部に合格した。
1982年(27歳)大学を卒業したが、海外留学を断念、北京大学共青団(共産主義青年団)委員会書記になれという共産党の提案を受け入れた。李氏の政治人生が始まった瞬間だ。それから16年間にわたり共青団で勤め、政治のキャリアを積んでいった。同氏は当時、「会議の時間は1時間を超えてはならない。1時間を超えたら会議場を出てもいい」という言葉を残した。中国社会にまん延していた抽象的な論戦よりも実用的な業務処理を重視したのだ。李氏はその後、共青団代表だった胡錦濤氏が国家主席になったことで表舞台に出るようになった。河南省省長、河南省党委書記、遼寧省党委書記を経て、2007年に政界の中核を担う党政治局常務委員になった。次期後継者をめぐり習近平氏(当時副主席)と競い、13年に序列第2位の首相になった。