脱北70代女性、「地上の楽園」に同胞を送った朝鮮総連に抗議

脱北70代女性、「地上の楽園」に同胞を送った朝鮮総連に抗議

 1959年12月14日、新潟港。在日朝鮮人975人が晴れやかな顔でソ連船「クリリオン号」と「トボリスク号」に乗った。「チョーセンジン」と呼ばれて差別される国を離れ、「地上の楽園」北朝鮮に行く第1次帰国船だった。翌年4万9036人、その翌年には2万2001人が北朝鮮に向かった。25年間で合計9万3340人が北朝鮮の清津港で降りた。

 そうして日本を離れた帰国者の1人だった川崎栄子さん(72)が14日、東京都内の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)本部前で「人間なら謝罪せよ」と叫んだ。堅く閉ざされた鉄扉の下で、在日朝鮮人の帰国事業により北朝鮮に送られた同胞の実態を調査せよとして「人権救済申請書」を差し出した。

 「56年前のあなたたちのうそにだまされて最初の帰国船が出発した。過ちを認め、北朝鮮に送られた同胞たちが自由に往来できるよう北朝鮮当局に要求せよ」

 韓半島(朝鮮半島)出身の両親のもとに京都で生まれた川崎さんは、1960年17歳の時に帰国船に乗った。北朝鮮の男性と結婚し、子ども4人と暮らしていたが夫と死別、還暦の時に北朝鮮両江道を離れて中国・瀋陽を経由し、京都に戻ってきた。日本で暮らしていた時は「朝鮮から来た」と、北朝鮮で暮らしていた時は「日本から来た」と差別された。だが、差別されるのを嫌った人がどうして余生を過ごす国として日本を選んだのだろうか。

 日本は脱北者のうち、帰国事業で北朝鮮に行った同胞とその子孫だけを限定的に受け入れている。現在、日本全国にはそうした人々が約200人いるが、ほとんどが北朝鮮に残った家族のことを心配して顔や氏名を隠して暮らしている。川崎さんも10年間そうして生きてきたものの、70歳の時に考えが変わった。昨年実名を公開して国連で証言、帰国事業で北朝鮮に行き、脱北した人々を集めて非政府組織(NGO)団体「モドゥ・モイジャ(みんな集まろうの意)」という非政府組織(NGO)団体を立ち上げた。川崎さんも子ども4人のうち娘1人と孫1人を除く親族がまだ北朝鮮にいる。

 「私は自分の子どもたちが北朝鮮のどこで暮らしているか知っている。私のせいで子どもたちに何かがあったら、子どもたちとまた連絡が取れるようになるまでもっと多くの証言をする。『私の子どもたちが無事だという証拠を出せ』と北朝鮮赤十字社に訴えるだろう」

 20年以上も脱北者の人権運動を続けてきた小川晴久東京大学名誉教授(74)も一緒に来た。小川名誉教授は「私もかつて北朝鮮を支持していた」と告白、朝鮮総連の建物に向かって「謝罪せよ」と叫んだ。

東京=金秀恵(キム・スへ)特派員
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