【萬物相】ソウルに核爆弾が落ちたら犠牲者推計62万人

【萬物相】ソウルに核爆弾が落ちたら犠牲者推計62万人

 ある新聞の週末版に、ソウル市内で核爆弾が爆発したと仮定した場合の被害状況を示す地図が掲載された。この地図を見た人はおそらく誰もが核兵器の脅威をより身近に感じたことだろう。地図は韓米連合司令部がある竜山上空で核爆弾が爆発したと仮定し、その被害状況をシミュレーションしたものだった。この地図によると記者の自宅は「生物は全て死ぬ」と「人間は全身で3度のやけど」となる二つの地域のちょうど境界近くにあった。職場のある光化門もそのあたりになっていた。記者は40年にわたり竜山に住み、これまで軍関係の施設の影響でいろいろ不便なことも多かった。その後、軍の主要施設が移転することで、やっと住みよい地域になったと思っていたら今度は核兵器だ。

 核爆弾が爆発する地点を「爆心地」という。上空で爆発した場合は、その真下の地上をそのように呼ぶ。米国の9・11テロ後は「グラウンドゼロ」という言葉をよく聞くようになった。歴史上、実際に核兵器が使われたのは1945年8月の第2次世界大戦が終わる直前、日本の広島と長崎の2カ所だ。記者はこの二つの爆心地に実際に行ってみたことがある。長崎の爆心地は現在、平和公園となって平和祈念像が設置されており、雰囲気も非常に厳粛だ。一方の広島は意外にも民間の病院になっており、その前に小さな「爆心地の碑」が設置されているだけだ。

 爆発当時、長崎の爆心地はテニスコートだったそうだ。また広島の爆心地には「島病院」という町の病院があったという。この病院の入院患者や医師、看護師ら80人は全員が原爆で犠牲になった。ただ院長は他の病院から要請を受け、手術をするため出張していたため惨事から逃れた。院長は後に廃虚となったこの地に再び病院を建てた。そのような経緯を考えると、病院の建物自体が人間の生命力を象徴するいわば記念碑のようなものだ。追悼碑よりもある意味実存的で人間的かもしれない。

 爆発直後に院長が現場に駆け付けたところ、回収したのは人骨だけだったそうだが、逆にそれがあっただけでも幸いだった。爆心地周辺にあった生き物は全て溶けてなくなり、煙になって蒸発したからだ。爆心地から遠くにいた多くの住民も、放射能によって多大な健康被害を受けた。当時、広島市の人口は35万人だったが、うち13万人が犠牲になったそうだ。一方で現在、ソウルの竜山区には23万人の市民が住んでおり、その周囲も数十万人の市民が密集して生活している。このような地域で核爆弾が爆発すると、その被害がどうなるか住民は肌で感じ始めている。米国防省のシミュレーションでは62万人が犠牲になるとされているが、この数字は決して誇張されたものではない。

 同じ地図を見た知り合いのある大学教授が「62万人が犠牲になるといっても、市民は特に脅威は感じない。なぜなら数字が大きすぎて実感できなからだ。旅客船『セウォル号』沈没事故で死亡・行方不明となった304人の2000倍にもなるではないか」という内容のメールを送ってきた。またもし地図に掲載された爆心地が竜山以外の遠くにあれば、どのような気持ちになったかとふと思った。しかしこれは愚かな問い掛けだ。この小さな大韓民国に核兵器から安全な場所などない。暴力集団が核兵器を手にしている限り、われわれは誰もが爆心地の中で生活しているようなものだ。逃げられないのなら阻止するしかない。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員
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