【寄稿】大韓民国建国の動力は「抗日」と「反共」

 李承晩は、東欧での左右合作が結局ソ連の衛星国建設のための時間稼ぎだった、という事実を見抜いていた。そこで李承晩は、46年6月に井邑で「南だけの単独政府であってもつくるべき」と主張した。北朝鮮が46年3月に土地改革を行うなど、既に事実上の共産国家を建設していたからだ。

 東欧の失敗を経験して、幸いなことに米国も気が付いた。第2次大戦後、世界のあちこちで膨張する共産主義に直面し、米国大統領トルーマンは47年3月にソ連との冷戦を公式に宣言した。この宣言に伴って左右合作は動力を失い、李承晩の反共路線がついに力を持ち始めた。

 その後、国連は47年11月、韓半島において人口比例に基づく総選挙を行うと決議したが、北朝鮮はこれを拒否した。ただ単に拒否しただけではなかった。48年5月10日に予定された選挙を妨害するため、北朝鮮は南労党や左翼系列を総動員して殺人、放火、スト、暴動を起こした。済州島の4・3事件も、まさにこうした流れの中から始まった事件だ。このような困難を克服して大韓民国は建国された。故に反共は抗日と同様、韓国をつくり上げた動力なのだ。

 大韓民国を建国した力から反共を取り除き、抗日だけを掲げると、どういう結果になるか。知っての通り、金元鳳(キム・ウォンボン)は解放前に共産主義系の抗日武装闘争を率い、臨時政府左派の中心的人物として活動した。解放後、南に帰国した金元鳳は、北に渡って労働相になった。そのため、金元鳳は抗日運動をやったものの、韓国の建国には何の役にも立たなかった。逆に、韓国をつぶすため6・25戦争(朝鮮戦争)を起こした金日成(キム・イルソン)の支援者になっただけだ。反共抜きの抗日だけでは大韓民国の建国を決して説明できない理由が、ここにある。

 金九(キム・グ)は解放前、韓民族独立のために最も卓越した抗日運動を展開した人物だ。臨時政府右派の中心人物だった金九は、中国で外交・軍事・義烈などあらゆる分野の抗日運動を指揮する最高指導者だった。帰国後も、47年までは李承晩と共に反信託統治・反共闘争を展開した。

 しかし金九は48年1月以降、大韓民国建国の最終段階で共産勢力と南北交渉を展開し、5・10選挙を否定した。そのため金九は、韓国独立には大きく寄与したにもかかわらず、韓国建国の役には立たなかったという批判の対象になっている。

柳錫春(リュ・ソクチュン)延世大学史学科教授
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