【コラム】韓国大統領の「悲運」は朴槿恵で終わるのか

 憲法裁の決定に無条件「承服」することが、法治的・民主的なわけではない。憲法裁の判決には、私自身、承服しかねる法理もある。憲法裁の判決が絶対的なわけでもない。重要なのは、心の承服ではなく、行動の節制だ。憲法裁の判断に同意はしないが、それを暴力的に、もしくは共同体が定めた規則に反するやり方で表明したりはしないということ。それが重要なのだ。倒れた人を踏みつけ、死人をむち打ち、辱め、暴言を吐いて「勝った」と勝利に酔うのは、民主的市民の姿勢ではない。奈落に転落したかのような悲痛さをかみしめている人に向かって「なぜ承服声明を出さないのか」「いつ青瓦台(大統領府)を出るのか」「なぜ出ていかないのか、不法占拠だ」などと責め立てる野党やメディアの態度からは、肉食獣の臭いがする。もし憲法裁が棄却判決を出していたら、正反対の現象が起きただろうと思うと、韓国人は果たして民主的市民なのか、市民である以前に公正な人間なのかと振り返ってしまう。

 もうそれくらいやったのだから、前を向いて進めばいいと思う。不幸ではあるが、「朴槿恵」は今や韓国人にとって「過去」であり「前大統領」だ。それくらいやれば腹いせにもなろうというものだが、その前大統領をすぐ法廷に立たせるのは、大統領選にもいい影響はなく、国の安定にとっても良くない。朴前大統領の側も、「防御」でないのなら「攻撃」は慎む方がいいだろう。

 韓国人もいつか、任期を終えた大統領が、傷もなく無事に権力の椅子から降りる場面を見るようになるのだろうか。4・19革命のとき、下野した李承晩が景武台(大統領府。当時は青瓦台ではなかった)を離れて亡命の途に就くのを惜しみつつ見送り、そして彼が死者となって故国に戻ってきたときには、彼を追い出す先頭に立った市民が街に出てきて、涙で哀悼を示した。それが韓国人の気質だ。

金大中(キム・デジュン)顧問
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