植民統治を批判、朝鮮総督府に削除された本紙紙面を新たに確認

 本紙社説は「(アジア主義が)東洋の民族に団結の力を与えたことがあるか…(中略)…それらは畢竟(ひっきょう)、帝国主義的侵略の背景としての、一種の魔術的な口車であった。永遠の禍根を培養するものであった。…(中略)…(日本は)文明を多少早くに会得したことを唯一の武器として、まず朝鮮を強圧し、満州・蒙古にまでも欲を抱き、侵略をやめなかった」と猛攻を加えた。そして、日本の韓国侵略を直接的に批判した。「馬関条約(日清講和条約)において朝鮮の独立を日中両国で宣言し、日露戦役は東洋の平和と朝鮮の保護を標榜(ひょうぼう)していたにもかかわらず、結局その野心と詐計は現実のものとなり、日韓の合併は出現した。にもかかわらず、まだアジア主義だの東洋の平和だのを口にするのは、むしろ滑稽甚だしいことではないかと思えよう」と皮肉った。

 1923年12月27日付3面に載っていて削除された「爆弾を多数押収」という記事は、有名な独立運動家だった義烈団員・金始顕(キム・シヒョン)の弟、金禎顕(キム・ジョンヒョン)が上海から帰国したものの、東大門の外で鍾路警察署に逮捕され、捜査の過程で爆弾およそ100発を持って戻ってきた別の人物が摘発されて爆弾は押収、容疑者は追跡中という内容だった。この事件は、金始顕が23年3月に朝鮮へ潜入し、京畿道警察部のファン・オク警部などと共に日本の要員の暗殺を図ったものの摘発され、独立運動家およそ10人が逮捕された直後に発生した。「ファン・オク警部事件」は、昨年公開されて750万人の観客を動員した映画『密偵』の素材にもなった。

 1924年7月4日付3面に掲載されていて削除された「組織的かつ規則的なインド人の独立運動」という記事は、中国の『民国日報』に載っていたボンベイ特派員の記事を要約したもの。英国の統治下にあるインド人は、絶対的に民族独立を主張し、普通選挙によるインド連邦共和国建設を目標にしており、その実行方策は納税の拒否、労働組合の組織およびストライキ、政治犯の釈放要求などだと細かく紹介していた。

李先敏(イ・ソンミン)記者
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