【寄稿】日本の桜外交に対抗した李承晩

 李承晩がこれに落胆していると、韓国で宣教活動をしていたアメリカン大学のポール・ダグラス総長が「ではわれわれの学校に韓国の桜を植えよう」と提案した。李承晩は1943年4月8日、ワシントンDCアメリカン大学校庭で大韓民国臨時政府樹立24周年を記念する済州王桜植樹イベントを開催した。米国の日刊紙アメリカン・イーグルの同年4月13日付には「日本産として間違って伝えられたワシントンの桜に本当の名前を与えるため、李承晩博士らが韓国の桜4本を植えた」と記載されている。標石には「李承晩博士が韓国独立を念願する人たちの意志を込めて植樹を行った」と刻まれている。この日、済州王桜植樹は30年以上にわたり日本名で呼ばれた韓国桜による新たな「独立宣言」となった。

 国立山林科学院暖帯山林研究所のキム・チャンス博士は2008年にワシントンを訪問し、ポトマック川の桜の標本を採取して複数回にわたり遺伝子検査を行ったところ、済州産王桜と同じ種類であることが確認されたと発表した。李承晩が独立を願って植えた桜の木は大木として成長し、これがきっかけとなってアメリカン大学校庭には「韓国庭園」が造成された。

 100年以上前、日本は桜を米国と日本の親善のシンボルにしようとしたが、李承晩は韓国桜の名誉を取り戻すために奔走し、民族の念願を込めて桜の木を植えた。ワシントン桜に韓国という名前を取り戻すために努力したことは、もう一つの独立運動でもあった。

キム・ジョンムンさん(文化財放送代表)

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