【コラム】徳寿宮復元、「日帝残滓」清算より大切なこと

 韓国文化財庁がおととい、徳寿宮復元計画を発表した。「日帝(帝国主義時代の日本)によって変形・歪曲(わいきょく)された徳寿宮の本来の姿を取り戻すための努力を本格的に開始する」(報道資料)というものだ。「日帝」という言葉の重さはあらゆる反論を抑えつける。

 徳寿宮復元の中核は、旧京畿女子高跡に再び「璿源殿」を建てることだ。璿源殿は歴代の王の御真(肖像画)が置かれた建物だ。徳寿宮の璿源殿は高宗の崩御後に取り壊され、昌徳宮に移された。「王室を辱めるための日本の蛮行」だと言われるが、「あるじのいない首都中心部の宮殿の近代的再構成」とする見方もある。こうした理由から今、昌徳宮には璿源殿が2つあるが、6・25(朝鮮戦争)直後に御真のほとんどが失われ、本来の機能も果たしていない。ところが、朝鮮王朝の3番目の璿源殿を旧京畿女子高跡に新たに作るというのだ。

 旧京畿女子高跡が宮殿として復元されれば、徳寿宮の広さは従来の6万平方メートルからさらに1万6000平方メートル広くなる。その区域も石垣の道を挟んで、大漢門から始まる「正殿」区域・「重明殿」区域・「璿源殿」区域の3カ所に増える。徳寿宮をはじめとするソウルの朝鮮王宮は5カ所あり、合計すると145万平方メートルに達する。しかし、朝鮮時代はもっと広かった。中国・北京の紫禁城(72万平方メートル)と比較すると、朝鮮の王宮がどれだけ大きいかが分かる。漢陽都城の広さ(1660万平方メートル)の10%に近い。当時は庶民には近づけない王室の独占空間だった。

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