【コラム】消えゆくソウル五輪の炎、崖っぷちの「スポーツ大国」韓国

 1970年代初めまで、日本は世界トップレベルを競い合っていた唯一のアジアの国で、体系的に選手を管理・教育するエリート・スポーツの手本だった。1990年代になって、日本が中国・韓国に押されアジア「ナンバー3」に転落したのは、エリート・スポーツをおろそかにし、生涯スポーツや市民スポーツに比重を置き始めたからだ。「全国民に公平なスポーツ活動の道を開き、生活の質を向上させるのが先進国だ」という考え方がその根底にあった。

 その日本が2000年代半ば、政府レベルでスポーツ立国戦略を立て、トレーニング施設や競技力向上に積極的に乗り出したのは、エリート・スポーツが国民の自尊心や士気高揚に与える力の大きさを切実に感じたからだ。日本は1964年に続き、2020年に東京で再び五輪を開くにあたり、「完全なるスポーツ強国の座を取り戻す」と意気込んでいる。

 今の韓国のスポーツは1980年代の日本に似ている。「先進国型スポーツとしての変化」を掲げ、2016年にエリート・スポーツと生涯スポーツが統合された大韓体育会が発足したが、この2年間は双方の対立と不信ばかりがふくらんだと言われている。エリート・スポーツだけに重点を置けばスポーツの底辺が狭まり、生涯スポーツにばかり集中すれば全体的なレベルが下がるのは火を見るよりも明らかだ。双方を共に成長させる「2つの道(two way)戦略」はなさそうだ。政府は南北合同チームや国際大会共催といった「見栄え」にばかり神経をとがらせ、大韓体育会首脳部はこうした政府のご機嫌をうかがうだけで精一杯の様子だ。

 今月17日にはソウル・蚕室総合運動場に五輪の聖火がともって30年になる。当時スタジアムのあちこちで踊りを披露して世界各国からのお客様を迎えていたソウル五輪マスコット「ホドリ」は民族の誇りだった。時計の針を戻して、そのホドリに再会できても、「ごめん」としか言えそうにない。

スポーツ部=姜鎬哲(カン・ホチョル)部長

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