【コラム】韓国歴代大統領の不運は風水のせいなのか

金敦中が鄭仲夫のひげを燃やした時もこれほど若くはなかった

 この時期について研究したヨム・ボクキュ氏の論文「植民権力の都市開発と伝統的象徴空間の毀損(きそん)をめぐる確執の様相と意味」には、「民族の脈を断つために昌徳宮と宗廟を切り離したという主張は、実在しなかった民族感情を想像したものに過ぎない」という文章が出てくる。存在していなかった虚像を、後世の人々が想像の中で加工し、実状として作り上げたという意味が込められている。ソウルは今、このような想像のために854億ウォンを使っている。徳寿宮は「なかった道」を「あった道」にする魔法までかけた。

 風水断脈説を語る時、必ず登場するのが景福宮だ。金泳三(キム・ヨンサム)政権が朝鮮総督府庁舎を撤去する際に掲げたスローガンも「民族精気回復」だった。このような主張には、日本が景福宮の南北に朝鮮総督府庁舎や総督官邸を建てて王家の脈と民族の脈を断ったという観念が反映されている。風水師の目にはそう見えるかもしれない。しかし、景福宮が最も華やかだった時、王室と官庁の末端官吏までが権力を振りかざし、税金などを厳しく取り立てて国が滅びた。韓国が解放されたのは、総督が住んでいた官邸の風水が悪いからではなく、日本が無謀にも大国に挑んで原子爆弾を2発落とされたからだ。日本による植民地支配が残した庁舎や官舎が解放後に韓国政府の司令部として使われた時、韓国は類を見ない成長を成し遂げた。それを撤去した後にどのような精気がよみがえり、どのような栄華を謳歌(おうか)したというのか。

 「大統領府がある場所(景福宮の北側)は風水が悪いから歴代の韓国大統領は不運だった」と言われる。大統領府の光化門移転を推進した兪弘濬(ユ・ホンジュン)元文化財庁長の認識がそうだというのだ。植民地支配時代末期、ここで生活した日本人総督も不運だった。敗戦後、3人のうち2人が戦犯として逮捕され、終身刑を受けた。1人は獄死した。この不運について、「韓国で暮らしていた場所が良くなかったからひどい目に遭った」と言えば、韓国人はあきれるだろう。戦争犯罪を起こし、その罪を償ったのだ、と。同じ場所で暮らす韓国大統領も風水が悪いから不運だったのではない。強大な権力に酔って悪行を重ねたり、周辺管理に失敗したりしたからだ。濁流のように押し寄せる権力をもがき、あえいで振り払っても、権力の府に漂う不運を避けるのは難しい。

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