【コラム】徳寿宮に喪服を着せることは克日なのか

 被害者であることを前面に押し出す人々の心には、自らを哀れむ気持ちや他人のせいにする気持ちが潜んでいる。他人が頑張ってやり遂げたことは目に入らない。ペリーの黒船を前にして恐れおののいていた日本は、それからわずか半世紀で海洋大国に生まれ変わり、清やロシアを倒し、朝鮮をのみ込んで成長したという事実から目をそらしている。徳川幕府を打倒した明治政府が改革のために何をしたのかも気にならない。明治政府側に立って幕府を倒した武士たちが「これからは我々の時代だ」と歓喜すると、明治政府の指導者たちは「政権獲得よりも近代化の方が真の目標だ」と武士たちの刀や領地を奪い、封建秩序を解体した。明治維新の最高権力者である大久保利通はその渦中で激怒した武士たちの手にかかって暗殺された。同じ時期、朝鮮では腐敗した政府が官職を売り飛ばし、金で官職を買った人間たちは平民から重税を搾り取った。国を差し出すことはあっても、特権を差し出す指導層はほとんどいなかった。これでは国が滅びても仕方がない。

 この100年間、韓国は「克日」(日本に勝つこと)の道を休むことなく走り続けてきた。日本に追いつくために努力し、必要ならばかつての敵とも喜んで協力した。三・一運動(独立運動)は狭小な反日を越えて自由・平和・共和を目指した近代主義運動だという自覚がその根底にあった。ところが、いつからか復讐(ふくしゅう)の感情ばかりが煮えたぎるようになった。歴史の被害者だという自意識に閉じ込められているからだ。ここから抜け出せなければ次の100年間も真の克日は期待できない。

金泰勲(キム・テフン)出版専門記者・論説委員

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