命を懸けて9回も北派作戦を行ったトッケビ部隊…「私たちの失われた時間を認めてほしい」

 彼らは「最初は、金日成の首を取りに行くんだろうとは夢にも思わなかった」と語った。カン・ファヒョンさんら将校13人は「特殊工作員訓練」という名目だけで強制転属させられた。兵士およそ100人は「国の仕事をやってほしい」「多額の報奨金をやる」「前科をなくしてやる」などの話だけを聞いて志願した。当時ダフ屋をしていたというハン・ヨンモさん(73)は「通行禁止令に引っ掛かり、捕まった警察署で『軍隊に行って少し危ない仕事を1回やれば前科も消えて金も稼げる』というので同意した」と語った。チョン・ジャンチョンさん(75)は「隊員の大多数は親のいない孤児で、家庭の事情が苦しい20代だった」と語った。

 そうして、悪夢のような5カ月の北派訓練が始まった。朝早く目を覚ますなり射撃、戦車の爆破、敵軍の拉致などの訓練を受けた。チャン・ビヒョンさん(71)は「あまりにつらくて逃げても、捕まったらむち打ちに、金串で肛門を刺す罰を受けた」と語った。イ・チャンムンさん(71)は「1日に手のひら半分くらいの大きさのおにぎりしか配られず、自分で捕まえて食べたヘビやトカゲだけで200匹にもなる」と語った。外部との接触は徹底して禁じられた。

 苦しい訓練を終えても、肝心の主席宮へ行くことはできなかった。カン・ファヒョンさんは「作戦着手直前の68年8月、米国のリンドン・ジョンソン大統領が『北に拿捕(だほ)された米海軍の諜報艦プエブロ号の乗組員が無事に帰還するまで作戦中止』を要請したらしい」と語った。その代わり、翌年から隊員らは「トッケビ工作」という名で計9回にわたり北派作戦に投入された。「北朝鮮の非武装地帯パトロール兵9人射殺」「敵のGP(監視哨所)爆破」「敵軍の兵器鹵獲(ろかく)」などの任務を遂行し、その過程で大勢が死亡または負傷した。

ユン・スジョン記者
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