【寄稿】光復節の朝…朴正煕、金大中、そして日本に対する自由を考える

エーリッヒ・フロムと『自由からの逃走』

 サー・アイザイア・バーリンは消極的自由が自由の本領だとみなした。著書『自由論』中の「二つの自由概念」(Two Concepts of Liberty)にてバーリンは「自由の根本的な意味は、他人によるくびきから、監禁から、奴隷状態からの自由」だと強調している。反面、積極的自由は「理性による自己支配」という概念を下敷きとしており、「理性的なわれわれがお前を支配するのが真の自由」という全体主義擁護論として悪用可能であって、警戒しなければならない。

 エーリッヒ・フロムは、代表作『自由からの逃走』で逆の議論を展開した。なぜドイツ国民はナチスを「自発的」に支持したのだろうか。近代化と資本主義は、既存の封建的秩序から人々を解放した。消極的自由を強制される逆説と向き合うことになったのだ。ドイツ人は、その状況に耐えられなかった。「自由からの逃走」を敢行し、ナチスを支持して自ら自由を返納するに至った。こうした弊害を克服しようと思ったら、「人間の同一性を犠牲にせず、孤立感の恐怖を克服する」自発的な活動、すなわち積極的自由が必要だとフロムは主張した。

 二つのうち片方だけが正答だとはいえない。他者の奴隷へと転落せずにいられる消極的自由は、他の人と手を携えて自分の人生を開拓していける積極的自由と「コインの両面」をなすものだからだ。消極的自由がなければ積極的自由も成立不可能だろうが、積極的自由が空疎さを埋めてくれなければ、ちょうど1930年代のドイツのように消極的自由もまた、たちどころに崩れてしまう。

 ところが日本に対してだけは、いまだに消極的自由のみを唯一のラインと考える声が大勢を占めている。昨年の光復節の祝辞で、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「誰も揺るがし得ない国」になるべきだと語った。日本と和解して親しくなることが韓国人の自由に対する脅威、という前提を置かなければ出てこない発言だ。その消極的かつ防御的な態度は、今年も続いている。

 現実は全く違う。幾つか事例のみ挙げてみよう。ネイバーの子会社である韓国系企業「LINE株式会社」のメッセンジャーアプリは、日本でカカオトークと同じ立場にある国民的なメッセンジャーだ。かつては韓国の大衆歌謡の相当数が日本の歌を剽窃(ひょうせつ)したり翻案したりしていたけれども、今ではTWICEに続きJYPエンターテインメントにて企画したNiziUが、日本の国民的アイドルの位置をうかがっている。まだ先は長いものの、あらゆる経済指標もまた韓日間の格差が徐々に縮まる状態となっている。

■「世界で最も平和な国」1位はアイスランド、韓国48位、日本は?

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