海外で活動する北朝鮮外交官の最大の悩みは「子供を連れていくか、連れていかないか」という問題だという。彼らは子供のうち一人は必ず平壌に「人質」として残さねばならない。そのため人事のたびに北朝鮮外務省関係者の家庭は涙の海になるそうだ。双子であっても例外ではない。故・金日成(キム・イルソン)主席の時代までは、北朝鮮外交官たちは海外赴任者専用の南浦革命学院に子供を安心して預けた。ところが1990年代の苦難の行軍後はそれができなくなった。北朝鮮初のパラリンピック選手として2012年のロンドン・パラリンピックに出場したリム・ジュソンは外交官の息子だという。幼い時に一人で北朝鮮に残された際、重機にひかれ片腕と片足を失ったのだ。
韓国に定着した北朝鮮の元外交官は10人ほどいるが、中には「子女問題」で脱北したケースも少なくない。英国公使を務めた太永浩(テ・ヨンホ)議員は自叙伝で「子供たちだけには貴重な自由を与えたい。奴隷の鎖を断ち切り、夢を追い求めさせたい」という決意で脱北したことを明かしている。韓流と自由を味わった子供が突然韓国の公館に入り込んだため、あたふたと脱北した外交官もいる。ある脱北外交官は「子供が重病を患っていれば連れてこられるという規定を利用するため、賄賂を渡して健康な子供を不治の病にかかった患者に仕立てる同僚もいた」と伝えた。