光復会長父親の「独立運動功績記録」に虚偽疑惑

 大韓民国臨時政府の文書によると、出身地も異なる。金元雄会長は「父親が『キム・ソク』『ワン・ソク』という仮名で活動し、母親は『チョンヒ』、自分は『ワン・ウォンウン』と呼ばれた」と主張してきた。1945年12月に重慶臨時政府が作成した「韓国臨時政府職員其眷属僑民名冊」には「王碩(ワン・ソク)家属」という付記と共に「チョンヒ」「ワン・ウォンウン」という名前が記録されている。

 しかし、この文書に出身地が「平北」(平安北道)と記録されているのに対し、1990年の功勲録には金元雄会長の父親の故郷が「慶尚南道晋陽(晋州)」と書かれている。金会長によると、父親の金根洙氏と母親のチョン・ウォルソン氏はそれぞれ慶尚南道晋州、慶尚北道尚州から中国に渡り、独立運動を行った。平安北道とは何のゆかりもない。報勲処が同一人物として管理してきた63年と90年の金根洙氏は出身地、活動時期、活動地域だけでなく、死亡時期まで異なることになる。

 光復軍第2支隊出身の独立運動家の子孫で構成する長安会のイ・ヒョンジン会長(光復軍第2支隊工作組長・李在賢=イ・ジェヒョン=氏の長男)は、1963年8月14日付朝鮮日報2面の「光復軍出身大統領表彰対象者342人名簿」にも「金根洙」という人物の前に「故」という表示があるとし、金元雄氏が父親だと主張する金根洙氏は別人だと主張した。

 こうした矛盾の原因が報勲処の単純ミスである可能性もある。しかし、単純ミスと考えるには2人の金根洙氏の具体的な足取りがあまりに異なる。報勲処は「1963年に当時の国史編纂委員会から移管された功績調書は1枚だけであり、功績調書になぜ『作故』と表記されたのか経緯を把握するのは困難だ」とした上で、「その金根洙と以降に登場する金根洙が同一人物かどうか引き続き調査する予定だ」と述べた。

 趙修真国会議員(国民の力)は「歴史を正すという意味で引き続きこの案件を調査していく」と述べた。本紙は金元雄会長に電話と携帯メールで1963年に大統領表彰を受けた金根洙氏と同会長の父親が同一人物かを照会したが、回答がなかった。

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パク・チョンイン上級記者
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  • ▲国家報勲処に残された1963年の大統領表彰時の「金根洙氏功績調書」。右上の「生存作故」欄に「作故」と書かれている。/趙修真議員事務所提供

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