【萬物相】韓国のすし

【萬物相】韓国のすし

 回転ずし店でくるくると回っていく皿には、すしが二つ載っている。なぜ二つなのだろうか。昔のすしは現在のものより2-3倍大きかったという。一口で食べられるように分けて出し始めたところから、1皿につき二つになったのだ。すしは、屋台でおにぎりのように大きく作って売っていた大衆食だ。値段が上がり、場所は華やかになったが、今でも屋台のように板前が客と向き合ってすしを握ってくれるところは多い。

【表】「ミシュランガイド・ソウル2022」 新たにミシュランの「星」がついた店

 昔のすしは、米飯と生魚を交ぜて発酵させた「なれずし」で、韓国の「食醢(シクへ)」のような食べ物だった。発酵には貯蔵庫が必要で、かなり時間がかかった。19世紀に入り、水産物が豊富な江戸を中心として、発酵させる代わりに酢飯を作って生魚などを乗せてそのまま出し始めた。現在のすしの原型に当たる「早ずし」だ。一種のファストフードだった。20世紀になり、冷蔵技術が発展したおかげで高価な鮮魚が出回るようになり、すしは次第に美食家が訪れる高級料理へと変わっていった。

 刺し身ではなくすしが日本の代表的な料理になったのは、米飯が生魚の味をぐっと良くしてくれるからだ。「すしのうまさはシャリが6割」という言葉がある。一人前になるには「飯炊き3年握り8年」とも言う。味にこだわる板前は、自分が望むシャリの味を出すため、さまざまな産地のコメを交ぜて使う。単純に見えるが、すしは材料一つ一つに対する相当な研究と修練が必要な料理だ。

 ミシュランガイド東京が初めて出たのは2008年だ。当時、最高等級の三つ星にランクされたすしの板前二人は、現在はそろって脱落している。ドキュメンタリー映画『二郎は鮨(すし)の夢を見る』の主人公、小野二郎は、少し前にミシュランの評価対象から外れた。世界的にあまりにも有名になり、一般人が事実上来店できなくなったからだ。ミシュランは、一般人が訪れることのできない場所は除外することとしている。小野二郎の弟子の水谷八郎は、がんにかかって引退した。およそ10年前、彼と会ったときには「仕事があまりに大変なので、弟子には店を継がせないつもり」と語っていた。毎日16時間も働くことを生涯続けてきたという。1年分の予約が全部埋まっても、1日10席の客が全てなので、大金も稼げないと言っていた。

 最近発表されたミシュランガイド・ソウルで星付きになった33店舗のうち、和食の店は8店舗だった。だいたいはすし屋で、韓食の店の数と同じだ。韓国のすしは今から30-40年前にホテルで始まった。有名シェフの系譜を追っていくと、大抵は新羅ホテルか朝鮮ホテルにさかのぼる。今や、味と質は日本レベルに到達したとの評価がある。だが、大衆も容易に来店できる、安くても質の良いすし屋はまだ多くない。料理には国境も、民族もない。世界最高のすしも韓国から出てきたらいいのにと思う。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員

<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) Chosunonline.com>
関連ニュース
関連フォト
1 / 1

left

  • 【萬物相】韓国のすし

right

あわせて読みたい