松坂大輔がイチローと球場で初めて対戦したのは1999年5月16日のことだった。松坂は当時、日本プロ野球(NPB)西武ライオンズに入団した18歳の「怪物投手」で、イチローは5年連続首位打者になったオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バッファローズ)の25歳の若きスターだった。2人のプロ初対決の結果は3打席連続三振。打席ではいつも無表情のイチローの顔に怒りの色が見えた。18歳の松坂は「自信が確信に変わりました」と言った。
41歳になった松坂は西武ライオンズのユニホームを着て4日、ホーム球場のマウンドに立った。彼の23年間、プロとしてのキャリアを締めくくる引退セレモニーが行われた。怪物のような球速と制球力と体力で知られる松坂は、米大リーグと日本プロ野球球団を行き来して通算170勝108敗2セーブ、防御率3.53という成績を挙げ、三児の父になった。最近は毎日首が痛くて腕がしびれ、狙ったところに球が投げられないという。松坂は「野球を23年間やってき中でたくさんのうれしい経験、悔しい経験をしてきましたが、いつも僕の気持ちを奮い立たせてくれたファンのみなさま、感謝しています。23年間、長い間支えていただき、前へ進むために背中を押していただき、本当にありがとうございました」とさわやかに笑った。
ファンたちの拍手を浴びて松坂が球場を1周し、最後のあいさつをしようとした瞬間、電光掲示板にイチローの姿が映し出された。大画面のイチローは「大輔、どんな言葉をかけていいのか、なかなか言葉が見つからないよ。だから僕にはこんなやり方しかできません。許せ、大輔」という言葉を残して姿を消した。すると、一塁側ダッグアウトの横から本物のイチローが花束をかかえて、松坂の方に向かって歩いていった。イチローは松坂にいたわりの言葉をかけて花束を渡した。バットとグローブは消え、花束と笑顔が2人をつないだ。
松坂は泣いた。そして、「プロ入団前から(イチロー)先輩に追いつこうという気持ちがあったので、ここまで来ました。先輩の登場は想像もできなかったのですが、とても驚いて、うれしくてこらえていた涙がこぼれてしまいました」と言った。
ヤン・ジヘ記者