「関東大震災朝鮮人犠牲者の追悼」まで南北に分断した尹美香議員【記者手帳】

「関東大震災朝鮮人犠牲者の追悼」まで南北に分断した尹美香議員【記者手帳】

 今月1日に日本の東京都内で韓国政府と在日本大韓民国民団が主催した「第100周年関東大震災韓国人受難者追悼式」で出会ったある在日同胞は「韓国の与野党が同時に来て献花したので、日本も朝鮮人虐殺問題をただ無視するわけにはいかないだろう」と述べた。韓国与党・国民の力の鄭鎮碩(チョン・ジンソク)議員と野党・共に民主党の尹昊重(ユン・ホジュン)議員が並んで立つ姿に言及したものだ。追悼式で歌手の張思翼(チャン・サイク)さんが「Spring is Going」を歌った時には高齢の在日同胞が涙を流した。日本語もできない状態で日本に金を稼ぎに来て死んだ若者たちと、自分たちの祖父や祖母の姿が重なったのだろう。

【写真】金於俊氏のネット番組に出演した尹美香議員

 このように追悼式は盛り上がったが、東京都内の雰囲気は相変わらず冷たかった。追悼式には鳩山由紀夫元首相など日本側の関係者も出席したが、日本の政界関係者は一人も参加せず、日本の内閣閣僚も、日韓議員連盟会長の菅義偉元首相も来なかった。「政府の調査に限定すれば、事実関係を把握できる記録は発見されていない」とする日本政府の立場は今も変わっていない。

 在日韓国人たちの念願は、日本政府が朝鮮人虐殺について正式に調査を行うことだ。何人が犠牲になったのかも知りたい。しかし1923年に日本の帝国国会で当時の首相が「調査中」と答弁して以来、日本で正式な調査は行われていない。日本のネット右翼は「暴行や盗みを働いた朝鮮人は死んで当然だった」などの主張を堂々と繰り広げている。

 正式な調査を貫徹するには、鄭議員と尹議員の二人が来ただけでは不十分だ。与野党から数百人の国会議員が韓国人の名前で並んで立つ日が来なければならない。しかしこの甘い願いは同じ日に破られた。無所属の尹美香(ユン・ミヒャン)議員が在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)主催の「関東大震災朝鮮人虐殺100周年東京同胞追悼集会」(北朝鮮式表現)に出席したのだ。この追悼集会では「南朝鮮かいらい徒党」などの言葉や、「(韓米日が)軍事同盟に拍車をかけ、周辺国との敵対を強要している」といった非難の声が相次いだ。

 関東大震災の追悼行事は二つに分かれたが、尹議員は何を間違ったのかも理解していない。尹議員は「追悼」の政治的な利用価値をよく知る人間だ。そのため北朝鮮が虐殺の悲劇を韓国と日本に対する政治的非難に悪用することは当然と考えたのだろう。本人も従軍慰安婦問題に続き朝鮮人虐殺問題にも関与したかったのかもしれない。しかし朝鮮人虐殺への追悼は今や敵と味方に別れて無条件非難攻勢を行う三流政治の奈落に落ち込んだ。与野党が力を合わせ、日本に虐殺の調査を要求する機会さえ失われた。

成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長

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