APECと米国市民の犠牲【朝鮮日報コラム】

APECと米国市民の犠牲【朝鮮日報コラム】

 アジア太平洋経済協会議(APEC)首脳会談2日目の11月16日。米国サンフランシスコのAPEC会場付近で運転中に道を間違えた。カーナビの新しいルート探索を待つのに10秒ほどかかっただろうか。5分ほど遅れるかもしれないという思いとは裏腹に、スクリーンに表示された予想到着時刻は、それまでの「4分後」からいきなり「1時間35分後」へとジャンプした。サンフランシスコ東部の衛星都市オークランドに向かう海上大橋「ベイブリッジ」を誤って渡ることになった状況で、カーナビは単純なUターンではなく、北へ60キロも迂回(うかい)するとんでもない経路を「最短ルート」だと案内していた。韓国国内の例でいえば、松坡区に入る前、河南方面への道に間違って入ったせいで、義政府まで大回りしてソウルに入り直すというようなとんでもない案内になる。

【写真】くまのプーさん人形と横断幕を手に中国政府に抗議するデモ隊

 こんな交通案内が出る理由は、オークランドからサンフランシスコ方面へ向かうベイブリッジ上の道路が、APEC期間中の大規模なデモにより、同日午前から完全にふさがれてしまったからだった。パレスチナのガザ地区における休戦を要求するデモ隊は、ちょうど出勤時間に当たる午前7時から道路上を占拠し、白い布をかぶって横たわり、「ダイ・イン」形式のデモを続けた。ベイブリッジは、オークランドからサンフランシスコに入る唯一のルートだ。この道がふさがれたら、北へ20キロ以上も離れた「リッチモンド・ブリッジ」を渡り、迂回して入るという遠回りの道が最善になる。カーナビが、到着まで1時間35分かかるという話にならないルートを提案したのは、決してミスなどではなかったのだ。

 この日、交通が遮られた橋の上では、自動車の上によじ登ってデモがいつ終わるのかいらいらしながら見守る人、どこかへ急いで電話をかけながら鬱憤(うっぷん)をぶちまける人、諦めたように車から降りて道端に座り込む人々の姿が随所で見られた。ある現地住民は「車の中から、画像で会社の会議に出席した」としつつ「トイレにも行けず、ひどいものだった」と語った。デモは6時間後の午後1時ごろに終わったが、一日を空費してしまった市民の損害はどこも補償してくれない。

 これは、APEC期間中に市民が遭遇した不便の一部に過ぎない。市当局は、会場から1キロの距離にある、治安の悪いテンダーロイン地区の整理に乗り出し、それまで清潔だった外郭住宅街に、同地区から締め出されたホームレスやフェンタニル乱用者が出没するようになった。会場周辺の道路に交通規制をかけたせいで、普段は10分あれば行けた通勤を40分以上も迂回して行かなければならないというケースもあった。

 11月15日に開かれた習近平国家主席と企業関係者らの夕食会では、習主席の演説に10回を超える拍手の洗礼が降り注いだという。各国首脳や企業関係者らは、APEC会場に現れさえすれば当然のように拍手を受けた。過激なデモを繰り広げる諸団体にすら、彼らに拍手を送る支持者がいる。だがスポットライトから外れた市民の犠牲を気に掛ける人は。黙々と不便を甘受した市民にも、誰かが拍手を送るべきではないだろうか。

サンフランシスコ=オ・ロラ特派員

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