牛肉密売犯を公開処刑する国【萬物相】【朝鮮日報】

 日本人が牛肉を食べ始めたのは明治維新後の1872年のことだ。仏教に心酔した天武天皇が675年に宣布した肉食禁止令のため、1200年間にわたって牛だけではなく、全ての肉の味を味わうことなく暮らしてきた。仏教とともに、農業にとって欠かせない牛を守ろうといった目的もあったのだろう。比較的日本人が小柄に育ったのはこうした歴史が影響を与えていたという話もある。すき焼き、とんカツ、牛丼は近代以降の産物である。

【図】「北朝鮮の公開処刑、父の目の前で息子を銃殺して遺体を燃やすケースも」

 朝鮮王朝時代も牛を食肉処理するのは禁じられていた。これを牛禁と言った。農業なくして生きていくことができなかった国では、牛はなくてはならない生産手段だったからだ。朝鮮王朝実録には、全ての王の代にわたって牛禁令に関する記録が残されている。にもかかわらず、ひそかに食肉処理する事件が頻発した。摘発されれば、一家全員が辺境に流刑される全家徙辺という刑に処された。これが甲午改革(1894年から2年にわたって行われた改革)まで続いた。

 北朝鮮の農村は朝鮮王朝時代と大きく変わらない。協同農場別に農業機械が普及しているものの、油が足りず動く機械も珍しい。交換できる部品がない。肥料がないので、褐炭を燃やして残った灰をまく。毎年1月になると、地方党に堆肥を上納するため、家族全員が毎朝村中のトイレを回り、人糞を取り出す激しい競争が繰り広げられる。トイレを守る番人もいる。21世紀にこうした農業を続けている国が果たして他にあるだろうか。このような北朝鮮では、牛は過去の朝鮮や日本と同じように必要不可欠の生産手段だ。

 だから当然北朝鮮には、牛禁令が残っている。ところで、処罰は朝鮮王朝時代のものよりも重い。牛をひそかに食べようものなら、経済事犯どころの騒ぎではなく、政治犯扱いされてしまう。罪状によっては処刑されることもある。北朝鮮には牛を食肉処理・流通するシステムそのものが存在しない。肉屋にも「国産」牛肉は存在しない。売られているのは、富裕層が買って食べる中国産の輸入牛肉だけだ。食用牛は護衛総局が運営する1号農場で飼育され、党幹部などの特権層にのみ供給される。残りの牛は全て協同農場で営農目的として育てられる。この牛が病気になったり死んだりすると、農場の幹部たちのものになる。

 数カ月前、北朝鮮で牛を大量に流通させた疑いで9人が公開処刑に処されたと、北朝鮮の専門メディアが報じた。普通の牛ではなく、病気で死んだ牛だったという。朝鮮王朝時代も自然死した牛は官衙(かんが)の許可を得て食肉処理や売買することができた。牛禁令自体も、農繁期でない場合はある程度融通が利いた。牛1頭をひそかに食肉処理して売ったところ、いずれも政治犯収容所に入れられ、主犯は処刑されたという脱北者の証言もある。脱北者たちは「北朝鮮では人よりも牛の命の方がより重要」と話す。なんともあきれた話だ。

李竜洙(イ・ヨンス)論説委員

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