「150万ユーロ(約2億1800万円)、150万ユーロが出ました。他の応札者はいませんか。ナポレオン皇帝の帽子が150万ユーロで落札されました!」

 「モナコ王室所蔵のナポレオン・コレクション」のオークションが行われた11月16日(現地時間)、フランスのフォンテンブロー・オセナのオークション会場で白熱した競り合いの結果、「ナポレオンの帽子」を落札した東洋の男性に取材陣が集まった。オークション手数料を含む実際の支払い金額は188万4000ユーロ(約2億7450万円)。外信は同日、一斉に「帽子の新しい主人」について報じた。「韓国チキン業界の大物、ナポレオンの帽子を落札」。12月1日、グループ系列会社のNSホームショッピング本社でハリムグループの金弘国(キム・ホングク)会長(57)に会った。

 会長室の入り口前の廊下には、ピカソの「花を持つ女」とゴッホの「耳を切った自画像」が掛けられていた。応接室の壁には、ピカソの「雄鶏(おんどり)」が掲げられていた。これが本物なら数百億ウォン(数十億円)もする作品だが、全て複製品だった。

 「絵は知人たちの展覧会のときにお付き合いで買うのを除けば買わない。何といっても高いからね。本物よりもカタログやポスターを見るのが好きだ。オークションは今回が初めて」

 「美術界の隠れた大物か」と思ったら、「初心者コレクター」だった。「オークションの1週間くらい前だったと思う。ナポレオンの帽子がオークションに出るというニュースをラジオで聞いた。その瞬間「お、それは私が買わなければならない」という気がして、数日後に従業員を派遣してオークションに参加した」

 衝動買いさながらの決定だったが、理由は十分だった。ナポレオンは金会長の「憧れの人物」だったのだ。同会長は「ナポレオンのチャレンジ精神を日頃から慕ってきた。1%の可能性しかなくても挑戦するクリエーティブな人物として尊敬していた。それでオークションのニュースを聞いて『思わず』買った」という。

 一般人からすれば、26億ウォン(約2億8000万円)は「思わず」使うには桁外れの金額だ。しかし金会長は、周りの人々から「26億ウォンを支払って260億ウォン(約28億円)以上の宣伝効果を挙げた」と言われるという。ちょうど来年がナポレオン最後の戦闘であるワーテルローの戦いから200周年を迎える年ということで、今回のオークションには全世界が注目した。「全世界のメディアによって当社が報じられ、会社のブランドパワーが上がった。米国に参鶏湯(サムゲタン、鶏スープの料理)を輸出しているが、オークションの報道以降、米国で参鶏湯が売り切れた。意図していたわけではないが、ナポレオンを使ってマーケティングを行った形になった」

 このニュースが韓国国内で報じられると、さらに上乗せするから売ってほしいという人も現れた。金弘国会長は「フランスから帽子が届いたら一度かぶらせてほしいという電話が政治家たちからたくさんかかってくる。ナポレオンのイメージを選挙に利用しようとしているようだ」と笑顔で話した。

 全北益山出身の金会長の「事業」は実際には小4の時に始まった。まず、母方の祖母がプレゼントしてくれたひよこ10匹を育てて売った。小6の時にはブタ18匹を買って養豚も経験した。裡里農高に進学し、高校を卒業した18歳の時に畜産業の事業者登録を行った。

 同会長は「高校3年の時にすでに4000万ウォン(約430万円)ほどためていた。当時益山市内の一戸建ての値段が300万ウォン(約32万円)だったから、家10軒相当の現金を持っていたことになる」という。こうして始めた事業を30年で年間売り上げ4兆8000億ウォン(約5100億円)のハリムグループに育て上げた。株式会社ハリム、天下第一飼料、ファームスコ、ソンジン、NSホームショッピングなどが系列会社だ。2011年には米国の食肉企業「アレン・ファミリフーズ」を買収した。

 金会長の成功ストーリーは、下級貴族の息子に生まれた島育ちの少年が世界の征服者にまでのし上がるナポレオンの人生とよく似ている。金会長は「私が一代で成功したからか、難しい環境の中でも成功する人が好きだ。特に前向き、挑戦、未来に向かっていく精神に対しては何か『通じる』ものを感じる」と話す。

 勉強よりも事業に関心を見せる息子に両親は好意的ではなかった。「兄弟たちはほとんどが公職者だ。両親も教育者だった。家族の中で誰も私のことを認めてくれなかった。しかし、人は自分の適性に合った仕事をしてこそ輝ける。適性に合った事をすれば誰でも天才になれる。それでこそ、失敗しても起き上がることができる」

 金会長は何回失敗を経験したか分からない。20歳のころはニワトリとブタの値段が暴落し、財産を失った。通貨危機の時も辛うじて峠を越えた。最大の苦難は2003年に経験した。ハリム工場の中で最大規模だった益山屠(と)鶏工場が火事で全焼してしまったのだ。試練に遭うたびにナポレオンが力になった。

 「挫折が襲いくるたびに『余の辞書に不可能という文字はない』というナポレオンの言葉を思い起こした。困難にぶつかったとき、諦めさえしなければ、私と企業は共に成熟していった。ナポレオンと『通じる』ことができたのはナポレオンの『前向きさ』のためだ。否定的な人は全てのチャンスに背を向け、他人を恨むが、前向きな人は1%の可能性しか見えなくても、全てのチャンスをものにするからだ」

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