▲チェ・ヒジュンTV朝鮮キャスター

 フランシスコ・ピサロは300人にもならないスペイン兵でインカ帝国を征服した人物だ。征服者という観点からすると、人類の歴史で最も有能な将軍だといえる。ピサロが征服したインカ帝国は徹底的な搾取の対象に成り下がった。大西洋の向こう側のスペイン国王はこのころ、植民地統治のために「エンコミエンダ制(Encomienda:委託するという意味のスペイン語から生まれた語)」という制度を公布する。征服者、すなわち派遣された軍人や官僚に許可状を与え、先住民を統治できるようにしたものだ。征服者たちはこの制度に基づき先住民から金品はもちろん、無制限の労働力を貢ぎ物の形で徴収した。そして、その代わりにキリスト教の信仰を広めた。

 これは、先住民に対し「私たちはあなたたちをクリスチャンにしてやるから、その対価としてあなたたちが持っている全てを私たちにささげよ」という、実に奇怪な論理だった。今、南米大陸は世界最大のカトリック信仰地域だ。

 1898年、米最高裁判所は「プレッシー対ファーガソン裁判(Plessy v. Ferguson)」の判決を下した。修正憲法第14条は法の前での白人と黒人の絶対的平等を保障したものにすぎず、肌の色に基づく分離自体を廃止したものではないという判断を下したのだ。従って、「分離されているが平等な(separate but equal)」機会を提供するなら合憲だというものだった。この判決により、米国社会では「white only(白人専用)」「coloured(有色人種)」などの分離が公然と行われるようになった。トイレさえあれば、白人専用と有色人種用に分離するのは法的に問題がないことだ。最高の知性が結集した米最高裁がこのような判決を下したということは信じがたいことだが、明らかな事実だ。「分離したという事実だけでも有色人種の子どもたちに有害な影響を与えるため、『分離されているが平等だ』という原則は正しくない」という最高裁判決が出たのは1953年のことだ。

 人類の歴史で最もあきれた、信じられない事例を取り上げてみた。従軍慰安婦問題もこの延長線上にあると理解できる。第2次世界大戦当時、韓国は日本の植民地だった。戦争を行った旧日本軍が、植民地にした国の女性を組織的に従軍慰安婦にしたというのは衝撃的で信じがたい事実だ。人類の歴史で戦争が起こるたび、悪行はあった。問題は、悪行をした日本政府の卑劣な態度だ。人にも国にも過ちはある。だからこそ、真摯(しんし)な謝罪には許しが伴わなければならない。しかし、日本政府は今も「従軍慰安婦は民間業者がした人身売買だ」という詭弁(きべん)を繰り返している。ドイツは徹底した謝罪により「ドイツ」と「ナチス・ドイツ」「ヒトラーのドイツ」を切り離すことに成功した。だが、日本は「ドイツは謝罪するに値するが、自分たちはそれほどまでに間違ったことはしていない」という態度だ。

 人類の歴史を振り返ると、国家と宗教の名の下でなされた悪行が最も残酷だった。日本人たちにとって天皇は神と同じだという。だから、あれほど残酷だったのだろうか。戦争という極限の状況で起きた過ちすら認めないなら、日本は果たしてどんな過ちを認められるのだろうかという気もする。元従軍慰安婦たちは両目を見開き、生きている。このままなら将来、「日本政府が最後まで自分たちの過ちを認めないこと自体、人類の歴史であきれた、信じられない事例だ」と誰かが書くことになるかもしれない。

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