南北統一には二つの道がある。一つは武力統一、もう一つは平和統一(または平和的統一)だ。武力統一は要するに戦争による統一だ。何百万人もの犠牲を前提とした統一には言及する価値もなければ意味もない。われわれが望んでいるのは平和統一だ。

 平和統一にも幾つかの道がある。一つは南北の当事者の合意による統一だ。おそらく連邦制による統一がモデルとなるだろう。もう一つは、周辺大国あるいは南北それぞれの背後で影響力を行使する「大株主」諸国の合意による統一だ。この場合は一方の体制がもう片方の体制に吸収される形の統一となる。旧ソ連の同意と誘導によって引き起こされた東ドイツの自己崩壊と西ドイツへの吸収が代表的な例だ。

 朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は今回の訪中の際「平和統一」を口にしたが、それはどちらのケースを念頭に置いたものだったのか。朴大統領は「今後、韓半島(朝鮮半島)の平和統一のために、中国と共に協力していこうという話になった」として、その方法をめぐる「さまざまな論議」がすぐに始まるかのような口ぶりで話した。朴大統領の述べた「平和統一」は、武力統一でも赤化統一(共産主義による統一)でもなければ連邦制統一でもない、おそらく北朝鮮周辺国(中国・ロシア)の「協力」と暗黙的な誘導による韓国主導の吸収統一を念頭に置いていたはずだ。

 しかし、中国側は異なることを言っている。「南北が対話を通じて関係を改善し、和解と協力を推進しながら最終的に平和統一を実現することを歓迎する」というのだ。統一は韓国と北朝鮮が自分たちで進めるものであり、中国が介入する問題ではないということを明言しているのだ。

 統一の問題で中国の役割を期待するのは、もともと幻想にすぎない。中国は北朝鮮の主導する統一ならともかく、韓国の主導する統一はいかなる形であっても(平和的であれ武力を使う形であれ)容認できない。それは米国と軍事同盟を結んでいる国とは国境を接することができないという中国の古い「安保第1条」に起因している。6.25戦争(韓国戦争)のとき中国の軍隊が後になって参戦することになったのは、北朝鮮が敗れて米軍が鴨緑江・豆満江に布陣するという状況を見過ごすことができなかったからだ。ヘンリー・キッシンジャー元米国国務長官の回想録には「6.25戦争当時、国連軍が韓半島(朝鮮半島)の最もくびれた地点(半島東海岸の鎮南浦と元山)で北への進軍をやめて休戦していたら、中朝国境は無事で、よって中共軍の介入は防げただろう」という内容がある。これは中国が潜在的敵軍によって包囲されるという構図をいかに恐れていたかを物語っている。今でも中国と国境を接している国はどこであれ、そこに米軍の軍事基地がある場合、中国は公然と軍事介入に乗り出すだろう。

 これはほぼ全ての大国に適用される安全保障の論理だ。統一ドイツが旧ソ連と国境を接していたら、すなわち間にポーランドという緩衝地帯がなかったなら、ソ連は統一ドイツを容認しなかったはずだ。ロシアがクリミア半島に侵攻し、ウクライナ騒乱を誘発したのも、そこに米国の軍事基地が設置されるのを防ぐことができなかったからだ。今ロシアと国境を接している国で米国と軍事同盟を結んでいる国はない。1960年代に米国のケネディ大統領がキューバを侵攻したのも、米国のすぐそばにあるキューバがソ連のミサイル基地建設を許容したからだった。

 このような歴史上の実例に照らし合わせてみると、現在の中国はどんなに北朝鮮が面倒な存在だとしても、米軍基地のある韓国が統一を主導する場合、それを容認することはできないだろう。韓国が韓米同盟を破棄して米軍の撤退を断行するなら中国も態度を変えるかもしれないが、現在の状況では中国は、緩衝地帯として北朝鮮の存在が必要だ。そうした意味でも、統一に向けた韓国の努力に中国が「協力」することは考えられない。さらには、北朝鮮内部の政治的混乱によって韓国主導による統一の可能性が開けたとしても、中国が北朝鮮に進駐して韓国による吸収統一を阻止するだろうという見方も専門家の間では出ている。

 朴大統領は「信頼」をあらゆることの基本と考える政治家だ。そのため、今回の訪中でも中国側の歓迎に非常に励まされ、また中国側の言葉を重視する傾向を見せていた。しかし中国の「二重プレー」を内面で消化しつつ、中国側の言葉が外交的リップサービスの可能性もあることを忘れずにいてほしいものだ。中国だけがそうなのではない。覇権主義的性向のある国々は、面と向かってあることを口にしておいて裏では別のことを言うのを得意とする傾向がある。

 歴代大統領をはじめ、韓国の指導者たちは統一について本音をあらわにし過ぎる傾向がある。「統一に言及してこそ指導者としての資質がある」とか「統一を『悲願』と考えてこそ民族性の確実な指導者だ」などとする社会的ムードのせいもあるが、ほとんどの指導者は統一に対して自身の見識を披露し、長々と熱弁をふるう。一種の韓国的「大統領病」だ。しかし統一はわれわれが単独で行うゲームではない。北朝鮮という相手がいて、韓国国内の異質分子がいて、韓国と北朝鮮の背後で影響力を行使する「大株主」の国々がいて、さらに南北の経済力も絡んでいる複雑かつ難解な問題なのだ。

 指導者は統一を「政治商品」と考えるべきではない。そして実現の可能性もないのに統一への希望を頻繁に口にすべきではない。将来の統一に備えて条件を細かく積み上げることは必要だとしても、言葉を選んで慎重に話し、有利な状況を待つことの必要性を認識すべきだ。そうすれば、ある日統一はわれわれの目の前にふと姿を現すはずだ。

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