今、東京の都心では朝鮮の工芸品を紹介する特別展の真っ最中。目黒区の日本民芸館で12日まで行われている「朝鮮工芸の美」展だ。清らかな白磁のつぼ、冊架図のびょうぶや膳(ぜん)、赤いトラが描かれた陶器などを見に、およそ8000人が訪れた。100年前に日本の近代工芸運動家、柳宗悦が魅了された作品だ。

 展示は、韓日協力の結実だ。民芸館設立80周年を契機として、韓国の国外所在文化財財団は、同館の韓国文化財コレクション約1600点を初めて全数調査した。保存処理が急がれるおよそ100点については、韓国の職人を現地に送って補修を終えた。韓国国内でも珍しい高麗の工芸品を発見するという成果もあった。その成果物として、財団は調査報告書を兼ねた所蔵品図録を発行し、民芸館では展示を行った。作品の実態を把握し、現地で韓国文化財の美しさも広くPRするという、一石二鳥の効果だ。

 東京国立博物館を含め、日本の大多数の博物館は韓国文化財の所蔵品目録を明らかにしていない。民間機関が宝物倉庫を開放するのは、それほどに異例のことなのだ。韓日関係がここ数年ぎくしゃくしている中、両国の文化人が心を一つにした企画というところがさらにうれしい。民芸館側は当初、公開を強く拒否していた。しかし財団が「取り戻すことが目的なのではなく、一般人が自由に見られることを望む」と粘り強く説得したことで、心を開いた。民芸館の杉山享司学芸部長は「われわれが所蔵する韓国文化財全てを韓国側に任せ、価値をきちんと明らかにしたかった」とまで語った。

 逆のケースもある。福井県敦賀の常宮神社には、1952年に日本の国宝に指定された「朝鮮鐘」がある。統一新羅時代の興徳王8年(833年)、慶尚南道晋州の蓮池寺で鋳造された美しい銅鐘だ。壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)で略奪されたと推定されているが、正確な記録は残っていない。この鐘を取り戻すための返還運動が、ここ数年、晋州を中心に続いている。2012年3月には市民団体数十人が神社を訪れ、「韓国の鐘なので返してほしい」とデモを行った。すると、驚いた神社側は銅鐘を倉庫の中に収めてしまい、現在も公開を拒否している。

 海外にある相当数の韓国文化財が、倉庫でほこりをかぶっている。16年の時点で、海外に持ち出された韓国の文化財は、確認されただけでも約16万点。このうち半分近くの約7万点が日本にある。日本国内の博物館・図書館・寺院や個人所蔵の形で散在しているこれらの遺物のうち、実態調査が完了しているのは40%にもならない。韓国に取り戻すのが最善だろうが、それができないなら、日の当たる場所に出すべきだろう。無条件に「出せ」と要求すればするほど、遺物は奥深くへと隠される。韓国文化財を所蔵している人々が、おじけづくことなく思う存分公開できる雰囲気をつくり上げるべきだ。取りあえず日の当たる場所に出し、実態調査を通して、違法な持ち出しが確認された場合には適法な手続きを経て取り戻しを推進するというのが筋だ。それが不可能な遺物は、現地であっても積極的に活用する方がいい。

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