ノーベル文学賞の季節が巡ってきた。今年も韓国の詩人・高銀(コ・ウン)の名前が受賞候補に挙がっている。そして高銀に対する当てこすりも始まった。韓国で10年以上も続いている毎年の「恒例行事」だ。有名ブックメーカーのウェブサイトでノーベル文学賞候補のオッズと順位が発表されるわけだが、だいたい10位前後に高銀の名前が入っているからだ。スウェーデン・アカデミーは公式にはノーベル賞受賞候補を公開していないため、本当に審査対象に名前が挙がっているのかは分からない。賭博的な予想によると、今回も受賞の可能性は高くない。ネットユーザーたちは早くも高銀に対し「スパーリングパートナー」「職業的万年候補」などと好き勝手に批評を始めている。受賞者発表の日に自宅に取材陣が押し掛けて大騒ぎするのを避けるために、高銀は今回、外国でその日を迎える予定だという。

 高銀は悔しい思いをしているだろう。毎年「韓国代表」に選ばれながら、連戦連敗だからだ。ノーベル文学賞の受賞が全面的に作品性を保障するわけでもない。政治的な力関係などが考慮されるからだ。2012年にノーベル文学賞を受賞した中国の小説家、莫言も「ノーベル賞の受賞者が必ずしも卓越しているというわけではない」と断言していた。「ノーベル賞の渇望はゆがんだ西欧中心主義の表れ」と露骨に非難する韓国人作家もいる。しかし、韓国の「ノーベル賞欲しい病」は、今年5月に韓国の小説家、韓江(ハン・ガン)がブッカー賞(イギリスの文学賞)を受賞した際に端的に表れた。メディアも出版社も受賞のニュースを伝える際「ノーベル文学賞と共に世界3大文学賞に挙げられる」という一節を「ブッカー賞」の前に付け加えた。それは「ブッカー賞」の受賞ではなく「ノーベル文学賞に次ぐブッカー賞」の受賞だった。

 日本の小説家・村上春樹も似たような立場に置かれている。日本を代表し、毎年のようにノーベル文学賞の最有力候補に挙げられ、自国民の絶対的関心を集めながら毎年落選している。ただ、高銀の事情と異なる点があるとすれば、自分の国だけでも数百万冊の本が売れているという点だ。2013年の近著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の発売当時、書店の前で長蛇の列をつくっていた日本人の姿を覚えている。発売からわずか1週間で発行部数100万冊を突破する国。ノーベル文学賞が国の文学的な地位を象徴するとすれば、作家だけでなくその国の国民もノーベル賞受賞に対して一定の取り分と責任がある。そう考えると日本人は村上春樹とノーベル賞に対してあれこれ言う資格があるといえるだろう。

 今年1月、米国の文学評論家、マイティリ・ラオ氏は米国の時事文芸誌ニューヨーカーに寄稿したコラムで、韓国のノーベル文学賞受賞の可能性について悲観的な見方を示した。内容はこうだ。「ソウルで最も大きな書店は『人は本を作り、本は人を作る』というスローガンを掲げている。識字率は98%に達する。出版社は毎年4万冊の新刊を発売する。ただ、2005年に経済規模上位30か国を対象に行った調査で、韓国の1人当たりの読書時間は調査対象国の中で最も短かった。詩人の高銀氏は毎年ノーベル文学賞候補に名前が挙がるが、実際には高銀氏の詩は韓国であまり読まれていない」。韓国統計庁が今年4月に発表した「韓国人の生活時間の変化像」によると、平日の読書時間は1999年の9分から2014年には6分へと減少した。

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