22日午前5時59分、日本の福島県沖60キロを震源とするマグニチュード(M)7.4の強い地震が発生した。震源の深さは約10キロ。福島県を中心に日本列島の右半分が揺れた。日本の気象庁は「福島県で最大3メートル、宮城・岩手・千葉県などで最大1メートルの津波が予想される」として緊急避難を呼び掛けた。5年前の東日本巨大地震と同じ場所で、再び「大地震と津波」という悪夢が繰り返されるのかと日本列島が緊張した。

 2011年3月に発生した東日本巨大地震はM9.0と非常に大きかったが、それよりずっと恐ろしかったのは津波だった。海水が最大43.3メートルの高さで海岸を飲み込み、福島第一原子力発電所は崩壊し、1万8455人の死者・行方不明者が出た。死者の91%は水死だった。

 当時ほどの規模ではなかったものの、この日の地震も大きかった。地震そのもの大きさを表すのは「マグニチュード」だ。この日の地震はM7.4で4月の熊本地震(M7.0)よりも大きく、今年最大の地震だった。これに対し、各地の揺れの強さを表すのが「震度」だ。この日、福島県一帯は震度5、東北地方や関東地方は震度1-4の揺れを観測した。震度5は棚から物が落下し、室内の家具が動き、耐震設計が不十分な建物にはひびが入るレベルだ。

 しかしこの日、日本は政府も国民も混乱することはなかった。地震が起きたときにどう対処すべきか、何度も繰り返し訓練してきたからだ。

 地震発生から1分もたたないうちにNHKは地域別の震度速報、鉄道・空港の運行状況、全国の原発の安全状態、津波発生状況などを緊急ニュースで報じた。地震発生から3分後には首相官邸にある危機管理センターに連絡室が設置された。東京都内のあちこちに住んでいる関連省庁の局長級幹部たちが緊急招集され、首相官邸に集まった。地球の裏側のアルゼンチンを訪問中の安倍晋三首相にも緊急報告が伝わった。

 地震発生から約1時間後の午前7時、安倍首相はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで記者会見を開き「災害情報を正確に把握することと、全力で取り組むことを指示した」と述べた。菅義偉官房長官も午前7時39分ごろ会見し「安倍首相と電話で話し『万全の態勢で対応するように』と指示を受けた。関係省庁の局長級による緊急チームを招集した」と述べた。

 地震発生から1-2時間後に押し寄せた津波は、幸い気象庁の予測を下回る30センチ-1.4メートルだった。それでも海沿いの住民たちは気象庁の勧告に従って指定の避難場所に集まった。この日は午前中ずっとテレビカメラが東北各地の避難状況を映し出した。道路では、赤信号を無視したり別の車線に無理やり入ったりする車は全く見当たらなかった。避難場所に逃げた住民たちは「かつて大きな災害があった場所なので、やはり避難した方が安心だ」と話した。

 福島県は何度も地震を経験して建物の耐震設計を強化した地域であるため、建物や橋の崩壊はなかった。新幹線や空の便も一時的に運行を停止していたが、順次再開された。福島第二原子力発電所では使用済み核燃料プールの冷却装置が停止したが、1時間半後に再開した。このトラブルを除けば原発事故も発生しなかった。この原発は東日本巨大地震で事故が発生した原発とは別の場所だ。共同通信など日本のメディアは、今回の地震で12人前後が軽傷を負ったと報じた。

 日本は震度1以上の地震が年平均2000-3000回発生する。しかしこの日の地震のようにM7.0以上の地震は多くても年に2-3回だ。今回の地震は東日本巨大地震以降、東北地方で発生した最大規模の地震となった。気象庁は午後1時に津波警報を解除し「今後1週間は強い余震が発生する恐れがあるため引き続き注意してほしい」と呼び掛けた。

ホーム TOP