1874年にクロード・モネが「印象・日の出」を展示会に出品したところ「絵よりも絵が掛けられた壁の壁紙の方が完成度が高い」とばかにされるほど非常に評判が悪かった。港における日の出の様子はどう考えても大ざっぱにしか描かれておらず、風景を忠実に再現したようには見えないし、またさほど美しさも感じられない。批評家たちはモネに対し「ちゃんと描かなかった絵を作品と主張している」などと批判した。しかしモネが描きたかったのは風景そのものではなく、あくまでその風景の印象であり、それをキャンバスに表現しようとしたのだ。この「印象・日の出」は19世紀後半に欧米の画壇に衝撃を与えた「印象派」誕生を知らせる代表作になった。

 ピカソの1957年の作品「ラス・メニーナス(Las Meninas)」(宮廷の侍女たち)はバルセロナのピカソ美術館で代表作として知られている。ピカソは若い時にマドリードのプラド美術館で見たベラスケスの「ラス・メニーナス」を参考に、幼いマルガリータ王女や子犬を独自の手法で描き直した。この作品が19世紀に紹介されていれば、ピカソは「巨匠の名作を冒とくした狂気の画家」とレッテルを貼られていただろう。

 「恩津弥勒(みろく)」として知られる忠清南道論山の灌燭寺にある石造弥勒菩薩(ぼさつ)立像が宝物指定から55年で国宝に昇格する。高麗時代初期の968年に建立されたこの仏像は、高さ18.12メートルと韓国では最大の石仏だ。ただし洗練美あふれる統一新羅時代の仏像などと比べると、造形美はかなり劣るとされてきた。胴体に比べて頭が非常に大きく、人間に例えれば4頭身にもならない。また目や鼻、口も非常に大きく、どこか奇怪な印象さえ受けるからだ。それが今回、劇的に国宝に指定されたのだ。

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で文化財庁長を務めた兪弘濬(ユ・ホンジュン)氏はこの恩津弥勒について「民間信仰に残っていた村の守り神のイメージを仏教的に作り直した土俗性がうかがえる」と評したことがある。奇跡でも起こしそうな怪力を持つその姿は、おそらく当時の民衆に希望を与えたのだろう。この仏像の作者は意図して当時の古典的な美的感覚を無視し、あえて個性的な姿を持たせたという見方もある。文化財庁は恩津弥勒を国宝とした理由について「型破りで大胆な美的感覚」「優れた独創性と完全性」を挙げた。

 ある芸術作品の真価が後の時代になって認められるケースは決して珍しくない。17-18世紀の月壺(げっこ)もそうだ。形がでこぼこな上にあちこち欠けたところのある月壺は、ただの古ぼけたものとされてきたが、ここ数十年でその価値が改めて認められるようになった。生前に国立博物館長を務めた美術史学者の故・崔淳雨(チェ・スンウ)氏が「無心の美」と表現した月壺は、今回平昌オリンピックの聖火台として注目を集めた。美に対する人間の感覚は時代とともに変わっていく。しかし変わらない真理は月壺や恩津弥勒のように「独自の個性」が備わっているかどうかだ。

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